インゴールヴル・アルナルソン
| これはアイスランド人の名前です。姓にみえる部分は父称であり、家の名前としての姓ではありません。この記事で取り扱っている人物は、正式には個人名のインゴールヴルで呼ばれます。 |
インゴールヴル・アルナルソン(古ノルド語: Ingólfr Arnarson)は確認できる限りで最初にアイスランドに移住したノルマン人である。
『植民の書』によれば874年、彼は自分の農地をレイキャヴィークに開いた。最近の考古学では、この記録よりももう少し早く移住が行われていたことが分かっているが、記録と大きく離れているということはない。
中世の歴史記録者、アリ・ソルギルスソンはインゴールヴルが最初のノルマン人移住者だと述べている。しかし彼は、Paparと呼ばれるアイルランド人僧侶がノルマン人よりも早く移住をしていたとも述べている。彼はケルト人がアイスランドを去った理由として、この新しく移住してきた異教徒との共生に耐えられなかったからだとしている。
『植民の書』にはインゴールヴルの移住に関する伝説的な物語が記されている。彼は血讐に巻き込まれ、ノルウェーからアイスランドに渡った。彼はGarðarr Svavarssonとフローキ・ビリガルズソンが大西洋に新しい島を発見したと聞き、友人のHjörleifr Hróðmarssonと共にアイスランドへと出航した。島が見えると、彼は元住んでいたの家の柱を船外に投げ,神が陸地に連れてきてくれたと強く信じた。彼の奴隷2人は、投げた柱を見つけるために海岸を探索した。3年の後についに柱を発見し、そこがレイキャヴィークとなったと言われている[1]。
一方、一緒に移住したヒョルレイヴ(Hjörleifr)はアイルランド人奴隷たちを冷遇し、その結果奴隷たちに殺された。インゴールヴルは現在のウエストマン島に彼らを追い詰め、殺した。ウエストマン諸島の名は、ノルウェーから見れば西の人々(ウェストマンナ)であるアイルランド出身の奴隷に由来すると言われている[2]。
インゴールヴルはアイスランドの南西部を開拓したが、彼の移住について、それ以上のことはよく知られていない。彼の息子であるÞorsteinn Ingólfssonはシングもしくはティングと呼ばれる民会による自治制度を導入した。これは現在のアルシングの原型と言われる。
インゴールヴルの妻はハッドルヴェイグといい、現在のアイスランドの住民には夫妻にまで家系を遡れる人がいるという[3]。
備考 [編集]
インゴールヴルの日本語表記としては他に以下の例がみられる。
脚注 [編集]
- ^ 『サガとエッダの世界』23-26頁。
- ^ 『サガとエッダの世界』25頁。
- ^ 『アイスランド小史』2頁。
- ^ 『サガの社会史 中世アイスランドの自由国家』(J.L.バイヨック著、柴田忠作、井上智之訳、東海大学出版会、1991年、ISBN 978-4-486-01153-8)で確認。
- ^ :『アイスランド小史』(参考文献)で確認。
- ^ 『スカルド詩人のサガ コルマクのサガ/ハルフレズのサガ』(森信嘉訳、東海大学出版会、2005年、ISBN 978-4-486-01696-0)で確認。
- ^ サイト「アイスランド観光文化研究所」で確認。
- ^ 「アイスランド」(『ブリタニカ国際大百科事典 1』浅井辰郎訳、ティビーエス・ブリタニカ、1972年)で確認。
参考文献 [編集]
- グンナー・カールソン『アイスランド小史』、岡沢憲芙監訳、小森宏美訳、早稲田大学出版部、2002年、ISBN 978-4-657-02718-4。
- 山室静『サガとエッダの世界 アイスランドの歴史と文化』社会思想社〈そしおぶっくす〉、1982年。