インゲマル・ステンマルク

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インゲマル・ステンマルク
名前
本名 Jan Ingemar Stenmark
基本情報
国籍 スウェーデン
生年月日 1956年3月18日(58歳)
生誕地 スウェーデンの旗 スウェーデンヴェステルボッテン県ストゥールマンJoesjö
居住地 スウェーデンの旗 スウェーデンヴァックスホルム島
ワールドカップ戦歴
デビュー年 1974年
引退年 1989年
総合優勝 1976年、1977年、1978年
通算成績 W杯通算86勝、表彰台回数通算155回,シーズン種目別優勝16回(大回転-1975-1981年、1984年。回転-1975-1981年、1983年)
 
獲得メダル
オリンピック
1980 大回転
1980 回転
1976 大回転
アルペンスキー世界選手権
1978 大回転
1978 回転
1982 回転
1982 大回転

インゲマル・ステンマルクJan Ingemar Stenmark1956年3月18日 - )は、スウェーデンヴェステルボッテン県ストゥールマンJoesjö村出身の元アルペンスキー選手。同競技史上屈指で、20世紀を代表する選手と評される。

主な戦歴[編集]

プロフィール[編集]

全盛期には、100分の1秒単位で争われる技術系の種目(回転と大回転)において、しばしば5秒前後の異次元の大差をつけて優勝するなどライバルを圧倒し、「ステンマルクに次ぐ2位は優勝と同じ価値がある」とライバル選手たちに言わしめた。

FISワールドカップでは通算勝利数86は2位のヘルマン・マイヤーに30以上の大差をつけており、「史上最強の天才スラローマー」の呼び声も高い。1976年から1978年の間、総合優勝している。1977-78シーズンとと1978-79シーズンには、出場した全ての大回転に優勝している。1979-80シーズンも、11戦10勝であった。回転についても、1975-76シーズンは7戦7勝、1976-77シーズンは10戦9勝、1981-1982シーズンは9戦8勝、1979-80シーズンは8戦7勝、1974-75シーズンは8戦7勝、1980-81シーズンは10戦8勝である。

つまり、この時期の回転、大回転の技術系種目では他を寄せ付けない強さがあった。しかし、FISワールドカップに1979年から採用になった新ルールにおいては総合ポイントは,滑降,回転,大回転,コンビの4種目の各3レースのみになった。このため、総合優勝するために、一度だけコンビのポイントを稼ぐためにキッツビューエルでの滑降に出場し、コンビ3位、15ポイントを獲得したが、滑降単独では39人中34位だったこともあり、以降、2度と滑降に出場することはなかった(当時のコーチによれば滑降の才能はあったがそれの練習に割く時間がなかったからとのことである)。

冬季オリンピック1976年インスブルック大会大回転で銅、1980年レークプラシッド大会大回転及び回転で金メダルを獲得しているが、1984年サラエボ大会には当時のアマチュア規定の為に参加することができなかった。 31歳となった1988年カルガリー大会で大回転と回転に出場。衰えは隠せず大回転は途中棄権、回転でも一本目は大きく出遅れたものの、二本目に全盛期を彷彿させる素晴らしい滑りで優勝したアルベルト・トンバより1秒近く速いトップタイムをマーク、5位に入賞する意地を見せた。

1979年にはアルペンスキー選手としては珍しいことながらホルメンコーレン・メダルを受章した。

1989年3月、長野県志賀高原のワールドカップを最後に引退。


引退後[編集]

2004年、タイでバカンス中にスマトラ島沖地震に遭遇、高台に避難し九死に一生を得た。

2006年までモナコに在住していたが、現在は妻と二人の娘とともにストックホルム近郊のヴァックスホルム島在住。

参考文献[編集]

神のシュプール―THIS IS THEインゲマル・ステンマルク 時見 宗和、 月刊スキージャーナル編集部 ISBN 978-4789911276

外部リンク[編集]