イルマ・グレーゼ

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イルマ・グレーゼ
イルマ・グレーゼ(1945年8月撮影)
Flag of German Reich (1935–1945).svg
生誕 1923年10月7日
ドイツ・メクレンブルク=フォアポンメルン州パーゼヴァルク
死没 1945年12月3日(満22歳没)
ハーメルン
職業 アウシュビッツ強制収容所看守

イルマ・グレーゼ(Irma Grese,1923年10月7日 - 1945年12月3日)はアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所(以下「アウシュビッツ強制収容所」と称する)ならびにベルゲン・ベルゼン強制収容所の女性看守。

経緯[編集]

元々ナチスの一組織ドイツ女子同盟(BDM)に深く共鳴し、15歳で学校を辞めた後、親衛隊幹部のサナトリウム看護師などをしていたが、18歳のときにラーフェンスブリュック強制収容所で看守として訓練を受け、19歳のときにアウシュビッツ強制収容所に配属され、連絡主任にまで出世する。

収容所での振る舞い[編集]

アウシュビッツ強制収容所の囚人女医ジゼラ・ペルルによると、風貌は美しい天使の如き無垢な顔の少女であったが、女性看守の中では最も残酷な看守であり、ユダヤ人女性の乳房に鞭を振るって大ケガをさせ、それに心的快感を得ると言うサディスティックな側面を持っていたと言う。また、ヨーゼフ・メンゲレらとの醜聞の噂も絶えず、堕胎手術を頼んだ事もあったとされる。

さらに、ガス室行きが決定された囚人に犬をけしかけて噛み付かせたりする行為等、収容所を説明する数々の文献には悪名高き者として取り上げられる事も多く、ベルゲン・ベルゼン強制収容所の元収容者、バリー・スパンヤードは解放後にイルマの悪事の数々を自著に綴った上で「石の心を持つ女」と講演等において激越に批判している。

ベルゼン裁判[編集]

ドイツ降伏直前の1945年4月17日ベルゼンに攻め入ったイギリス軍によってイルマは逮捕され、ナチスの数々の非人道に対する罪を裁くベルゼン裁判で「戦争犯罪裁判規定」第4条に基きコンウォール公軽歩兵第五連隊よりベルゼン所長ヨーゼフ・クラーマーを含む他の43名と共に戦争犯罪の罪状で起訴されている。同年11月17日に死刑判決を受け、翌月の12月3日にイギリスの死刑執行人アルバート・ピエレポイントの手で刑が執行される。22歳の刑死だった。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]