イブ・ラフォンテーヌ

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イブ・ラフォンテーヌ
Yves Lafontaine
生誕 イブ・ジョセフ・ラフォンテーヌ
Yves Joseph Lafontaine

1959年7月16日(55歳)
カナダの旗 カナダケベック州グランメール
職業 音楽家, バイオリン製作者, 作家
活動期間 1979

イブ・ラフォンテーヌ(Yves Lafontaine, 1959年7月16日 - )は、カナダ人の音楽家で、バイオリン製作者および作家でもある。

少年時代[編集]

1959年7月16日、カナダのケベック州にあるグランメールという町に生まれる。 母親はジャンヌ=ダルク・ラフォンテーヌ(旧姓ブシエル、アマチュア画家)、父親はオンリ・ラフォンテーヌ(アマチュア歌手、銀行員)。 7人兄弟の6番目。少年時代に音楽の勉強を始め、10代のころクラシックギターを弾き始めた。


学歴[編集]

1970年代後半から80年代前半にかけて、トロワリビエールのコンセルバトワール・ケベック(ケベック音楽院)に通う。 クラシックギターを、ジャン・バリエルに、室内音楽をウォルター・ヨアキムに、 ビオラをアルフレッド・フィレクに師事。 2サイクル目の終わりに、コンセルバトワールを辞め、すでに活動していたプロのクラシックギタリストの道に専念する。

1983年、クラシックギター演奏にさらに磨きをかけるため、 Alexandre Lagoya(アレクサンドル・ラゴヤ)Carel Harms(カレル・ハルムス)と共にフランスの「ニース夏期国際音楽アカデミープログラム」に参加する。 ギター奏法の他、楽典クラスにも参加しJacques Chailley(ジャック・シャイエ)に師事、その他指揮法のクラスにも参加しFernand Quattrocchi(フェルナン・クアトロキ)に師事。 [1]


1985年から86年にかけて、ドイツのバイヤン州立図書館およびスペインのマドリード国立図書館にて、ルネッサンス期からバロック期のはじめにかけて使われていたリュートの表記法(タブラチュール)を深く研究した。


カナダに戻り、モントリオールのマッギル大学に入学、1991年に卒業し、東アジア研究の学士号を取得。 その後日本の文部省助成金により1991年に筑波大学の日本語科に入学した。 卒業後、これも日本文部省助成金により東京芸術大学の指揮科に入学し、卒業。 2007年、イタリアのロンバルディア地方局からの招待でバイオリン弓製作コースを修了。Giovanni Lucchi(ジョバンニ・ルッキ)、Pierre Guillaume(ピエール・ギヨーム)に師事。

2008年、クレモナにある「アントニオ・ストラディバリ」バイオリン製作スクールを卒業。 そこではErnesto Vaia(エルンスト・バイア)、 Giorgio Scolari(ジョルジオ・スコラッリ)、Lorenzo Marchi(ロレンツォ・マルキ)に師事した。

2010年、同じスクールでバイオリンの修復コースを修了。 Alessandro Voltini(アレッサンドロ・ボルチーニ)、 Claudio Amighetti(クラウディオ・アミゲッティ)、Andrea Ortona(アンドレア・オルトナ)に師事した。[2]

私生活[編集]

1993年9月9日、日本女性と結婚する。二人は筑波大学在学中に出会った。二人の間には4人の子供がいる。ラフォンテーヌはカナダの国籍と日本永住権、イタリア永住権を持つ。英語、ドイツ語、フランス語、イタリア語、スペイン語、日本語を流暢に話す。[3]


キャリア[編集]

指揮者[編集]

ラフォンテーヌはカナダで合唱団の指揮者としてキャリアを積み始めた。のちに楽器のアンサンブルのためのアレンジも行った。 1990年から日本で指揮者として活動をはじめる。 宇宿允人指揮のフィルハーモニア東京管弦楽団で副指揮者を93年から96年まで務める。 正指揮者として活動した主な楽団は、成田交響楽団、幕張交響楽団、京都フィロムジカオーケストラ、ハイドン・シンフォニエッタ、オペラフィオーリ東京。 現在は主にイタリアで活動している。[4]


演奏家[編集]

フランス、ドイツ、スペイン、ノルウェイ、カナダ、アメリカ、アジア各地で、クラシックギターとルネッサンスリュートのソロ演奏家として活動。 多くのラジオやテレビに出演し、独自のアレンジでの演奏も行った。[5] 1992年に、帝国ホテルにて高円宮の御前で演奏した。[6]

2006年から2年間、アントニオ・ストラディバリ スクールのオーケストラで、ビオラを担当。[7]

作家[編集]

母国語であるフランス語で詩を書いている。また、コンサートのプログラムでは、曲の成り立ちや楽典的視点からの解説を英語で書いている[8]

http://aaso.no/index.php?option=com_content&view=article&id=26:hostkonsert&catid=7:konserter-med-aso&Itemid=32

Combien vite est venu le soir,
deja ai les paupieres lourdes.
Au dehors tombe la nuit noire,
lune a la fete est faite sourde.
Ai maintenant le dos courbe,
depuis longtemps jeunesse a fuit.
Affaibli du poid des annees
ne chemine plus dans la nuit.
Que me reste-t-il a faire
que d'autre deja ne fut fait?
Conquises sont toutes les terres,
au mieux tranquille en coin me tais.

.[9]

楽器[編集]

ラフォンテーヌは、ギタリストのMiguel Angel Girollet(ミゲル・アンヘル・ジロレ)が所持していた、Manuel Contreras(マヌエル・コントレラス) 1世が1989年に製作したギターを演奏に使用する。また、Michel'Angelo Bergonzi(ミケランジェロ・ベルゴンツィ)が1754年に製作したバイオリンを演奏に使用する。[10]

受賞歴[編集]

ラフォンテーヌが製作したビオラは2007年に開催されたPisogne Violin Making Competition(ミラノにある出版社「NICPASSECH」‐Bernardino Telesio 通り17」からカタログが出版されている)で音響賞を受賞。

ディスコグラフィ[編集]

プライベートレーベルで1枚のCDを出版。内容はバッハ、スカルラッティ、アルベニス、グラナドス、ファリャ、ロドリーゴ、ソル、プジョール。


参考文献[編集]

  1. ^ "Le Nouvelliste ル・ヌーベリスト", April, 30 1983.
  2. ^ "Sunmorsposten", September, 15 2010.
  3. ^ "Son ar Mein"concert program, France, December 26, 2009
  4. ^ "Sunmorsposten", September, 15 2010.
  5. ^ "La Provincia", Cremona, April 11, 2011.
  6. ^ "40th Anniversary of the Re-establishment of the Canada-Japan Societyのプログラム 1992年12月3日
  7. ^ "Son ar Mein"concert program, France, December 26, 2009
  8. ^ "Son ar Mein"concert program, France, December 26, 2009
  9. ^ "Son ar Mein"concert program, France, December 26, 2009
  10. ^ "La Provincia"  2011年6月28日