イブン・アル=アラビー

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イブン・アル・アラビー(1165年-1240年)

イブン・アル・アラビー(Ibn al-`Arabi(Abū abd-Allah Muhammad ibn-Ali ibn Muhammad ibn al-`Arabi al-Hatimi al-TTaa'i、アラビア語: ابن عربي1165年7月28日 - 1240年11月10日)は、中世イスラム思想家存在一性論完全人間論を唱えてイスラム神秘主義スーフィズム)の確立に寄与し、後世に影響を与えた。

イスラム教徒のセビリヤ王国の支配下にあったアンダルシアムルシアアラブ系の名門に生まれる。父はアウェロエスと親しく、イブン・アル・アラビーも後にその葬儀に参列するなど親交があった。青年期にセビリア法学神学ハディース学を学ぶ。その頃、病床にあった彼は幻視体験をして、宗教的関心を高め、タサッウフと呼ばれるイスラム神秘主義の研究に没頭しながら、アンダルシア・マグリブ各地を遍歴して、スーフィー行者とともに修行した。1202年カイロを経てマッカ巡礼を果たした彼はそのまま同地に滞在して、更なる研究に没頭する。1204年、彼はマッカにおける研究の集大成である『マッカの啓示(Al-Fūtuhāt al-Makkīyya)』を著した。

翌年、アナトリアからの巡礼団が彼の教説に感銘して、コンヤへの来住を要請されてこれに応じた。その後もバグダードアレッポダマスカス・カイロ・メッカなどを訪問するなど、その人生の大部分を旅に費やしている。彼はイスラム神秘主義におけるもっとも重要かつ高度な思想家であった。その教説の中核は万物は見かけ上は全く違うように見えるが、実は全て神の知恵の中にある1形態に過ぎず、本質的には同一の物体であるとする「存在一性論」と人間とは神が持つ全ての属性の集合体によって構成されており、その中でもそれを自覚した「完全人間」と呼ぶべき人が預言者であり、マホメットはその最後の人物であるとする「完全人間説」によって構成されており、人間は元から神の一部である以上、心や意識に苦痛をもたらす禁欲的な探求を採ることは無意味であると唱えたのである。彼の教説は各地に熱狂的な支持者を生み出す一方、反対派も多く、カイロでは暗殺計画があったと言われている。

晩年は支援者であった富豪の招きでダマスカスに居を定めた。彼はそこでアダムからマホメットに至る27名の預言者の伝記・思想論集である『叡智の根源(Fusūs al-hikam)』を著した。彼自身の言によると、夢の中にマホメットが現れて口述を行って彼に執筆を迫ったのだという。また、彼は詩人及びサーヒル派ウラマーとしても知られて著作を残しており、その数は生涯で200を越える。彼の没後、郊外のカシオン山中腹に墓廟が築かれ、一部のイスラム教徒からは巡礼の対象地とされ、墓廟周辺は彼の名前にちなんだ「ムフイッディーン地区」という地区名で呼ばれているほどである。彼の思想は弟子のサドル・アッディーン・クーナウィー(Sadruddin al-Qunawi)らによって体系化され、全てのイスラム教徒(及び一部のキリスト教思想家)に影響を与える一方で、イブン・タイミーヤに代表される反対論を唱える思想家を生み出し、イスラム教の思想・歴史に大きな影響を与えることになる。


批判 [編集]

イブン・タイミーヤなどを含む多くの有名なウラマーがイブン=アラビーはムスリムではないと断じている。彼が著作中に示した思想にはイスラム教の枠を超えるものがあり、例えば彼は古代エジプトファラオが自身を神だとみなしていたことを正しいことだと主張している。

参考文献 [編集]

  • リチャード・ヴァーダリー「イブン・アル・アラビー」『世界伝記大事典 世界編 1』(ほるぷ出版、1980年)
  • 古林清一「イブン=アルアラビー」『世界歴史大事典 2』(教育出版センター、1991年) ISBN 978-4-7632-4001-9
  • 東長靖「イブン・アラビー」『岩波イスラーム辞典』(岩波書店、2002年) ISBN 978-4-00-080201-7

外部リンク [編集]