イザーク・レーフ・ホーフマン・フォン・ホーフマンスタール

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Isaak Löw Hofmann von Hofmannsthal, 1837

イザーク・レーフ・ホーフマン・フォン・ホーフマンスタールIsaak Löw Hofmann, Edler von Hofmannsthal1759年6月11日 - 1849年12月12日)はボヘミアピルゼンクラドルビKladrau/Kladruby)出身(近郊プロスチボシュ Prostiboř出生) のオーストリアの商人。

ホーフマンの両親は18世紀のアンスバハの飢饉の間、とても貧しい状況でバイロイト近くのプレッツェンドルフ Pretzendorf からボヘミアへ移住してきた。自宅での訓練のあと、13歳からラビのアブラハム・プローンのもとバーフール(בָּחוּר, בּיחוּר־יְשִׁיבָה タルムード学者)として研究を始める(正統派ユダヤ教徒はバル・ミツワー以降独自の研究をするようになる)。

研究が終わったあとオーストリア政府へのタバコ専売で富豪となっていた商人ヨーエル・バールーフの家で教えるようになる。

1796年から工業に関心を示すようになり、1802年ハンガリー政府から初の絹専売契約を結び、専売件を半世紀近く保ち続けた。イザーク・レーフの使唆により、息子エマーヌエルはパンフレット「養蚕の序論 Einleitung zur Seidenzucht」を書き、1万6000冊が配られた。

ホーフマン・フォン・ホーフマンスタールという貴族の称号を与えられた。フーゴ・フォン・ホーフマンスタールは孫にあたる。1849年、ウィーンにて90歳で没。

記事の参考文献[編集]

  • G. Wolf, Gesch. der Israelitischen Cultusgemeinde in Wien, p. 59, Vienna, 1861
  • David Löwy, Gallerie der Verdienstvollsten Juden des XIX. Jahrhunderts, ib. 1882
この記述はパブリックドメイン百科事典Jewish Encyclopedia1901年-1906年版に基づいています。 [1]

関連項目[編集]