イギリスのニュータウン

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イギリスのニュータウンでは、イギリスにおけるニュータウン英語: new town)について述べる。

イギリスにおける狭義のニュータウンは、第二次世界大戦以降、低質な住宅や戦災にあった住宅の住民を郊外に移住させることを目的として、1946年ニュータウン法英語版などに基づいて建設されたものを指す。おおまかに1940年代後半、1960年代前半、1960年代後半の3期に分けることが可能であり、後半の計画には既存の街の大規模な拡大も含まれている。ニュータウンに指定された街の開発は地方自治体ではなく、国が設立した開発公社英語版が担うことになっていた。なお、開発公社はのちに廃止され、資産などは自治体やニュータウン委員会(イングランドのみ・のちのイングリッシュ・パートナーシップ)に配分されている。

前史[編集]

田園都市[編集]

ウェリン・ガーデン・シティ

広義のニュータウンとしては、エベネザー・ハワードの提唱による田園都市が挙げられる。

オーバースピル住宅地[編集]

「オーバースピル」は「溢れ出し」の意であり、オーバースピル住宅地英語版とは都市の人口増に対応して郊外に建設された街を指す。ニュータウンとは計画方法の点で異なる。

イングランド[編集]

第1波[編集]

政府の広報機関であった中央情報局英語版が製作したニュータウン計画についてのアニメーション

第1波は第二次世界大戦直後の住宅不足を改善するために計画された。ロンドン周辺(メトロポリタン・グリーン・ベルト英語版外側)が中心であったが、イングランド北東部のカウンティ・ダラムにも2か所が指定されている。

第2波[編集]

テルフォード
複数の小さな街を核となる地区を中心に組み合わせたドーリー・ニュータウンとして計画

1961年から1964年にかけての第2波も住宅不足の解消を狙ったものである。ロンドン郊外には計画されず、バーミンガムリヴァプールの周辺にそれぞれ2か所ずつとニューカッスル・アポン・タイン周辺に1か所の合計5か所が指定された。

第3波[編集]

ピーターバラのニュータウン建築

1967年から1970年にかけての第3波では、さらなる発展のため、ロンドンの既存のニュータウンの更に北側や、リヴァプールとマンチェスターの間の地域などを中心にニュータウンが指定された。1963年にすでに指定を受けていたドーリー・ニュータウンは拡大の上でテルフォード・ニュータウンに改名され、バーミンガムとロンドンの間では既存の村から名前をとったミルトン・キーンズが周辺のブレッチリ―英語版ウルヴァートン英語版ストーニー・ストラトフォード英語版などの街を含む形で指定された。このほか、既存の大規模な街ではノーサンプトンピーターバラが拡張という形で指定されている。

ウェールズ[編集]

スコットランド[編集]

1947年から1973年にかけて、スコットランドでは合計6つのニュータウンが指定されている。これらは主にグラスゴーの人口増加対策として建設されたものである。

北アイルランド[編集]

1965年北アイルランドニュータウン法により、北アイルランド政府英語版の開発大臣にニュータウンを指定し、開発委員会を設置する権限が与えられた。政令によって既存の自治体が持つ権限を開発委員会に移譲することが可能であり、こういった場合開発委員会は公選制ではなかったもののアーバン・ディストリクト英語版・カウンシルを名乗った。

1968年北アイルランドニュータウン修正法では、ロンドンデリーへの開発委員会設置とそれによるカウンティ・バラ英語版ルーラル・ディストリクト英語版の廃止が認められた。これを受け、1969年4月3日に開発委員会がカウンシル2つの業務を引き継ぎ、ロンドンデリー・アーバン・ディストリクトとなった[32]

指定外の新興住宅地[編集]

イングランド[編集]

1960年代[編集]

1970年代以降[編集]

2007年5月13日、財務大臣ゴードン・ブラウンは低価格な住宅への需要を緩和するため「エコタウン英語版」を10か所指定すると発表した。これらはそれぞれ5000戸以上、人口約2万人という規模であり、地場産の再生可能エネルギーを利用、カーボンニュートラルとなる。なお、発表で指定が明らかにされたのはオーキントン空軍基地英語版跡にすでに計画されているノースストウ英語版のみであった[35]

ウェールズ[編集]

スコットランド[編集]

将来の計画[編集]

遺産[編集]

2002年7月にはイギリス議会の運輸・地方自治・地方委員会はニュータウンの評価を行い、以下の結論に達した。

多くのニュータウンが経済的に成功を収めた一方で、現在では大きな問題に直面している。ニュータウンの設計は21世紀にあっていない。インフラの老朽化は同じ速度で進行しており、社会的・経済的な問題を多くのニュータウンが抱えている。ニュータウンを抱える自治体の多くはそれらの問題を解決する能力のない小規模自治体であり、事態は多くの土地を所有するなど利害関係を持つイングリッシュ・パートナーシップの存在によってより複雑化している[36]

ニュータウンはもはや新しくはなく、急造された建物は耐用年数の終わりを迎えている。緑地を多用した低密度な開発や職住分離などの理念は、今や持続可能でないとされる車社会を作り出した。低密度な住宅地は維持コストが高く、道路や下水道設備などが高価な更新工事を必要としている[37]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 戦後の郊外的な都市計画に対して否定的な考えを持つことで知られるチャールズ3世(当時プリンス・オブ・ウェールズおよびコーンウォール公爵)の信念に基づき、コーンウォール公爵領の土地に建設された。

出典[編集]

  1. ^ Seacroft, West Yorkshire | England | United Kingdom (UK) | Parish | Village | Community | Seacroft”. Any-village.com. 2010年6月22日閲覧。
  2. ^ "No. 37785". The London Gazette (英語). 12 November 1946. p. 5536.
  3. ^ "No. 37849". The London Gazette (英語). 10 January 1947. p. 231.
  4. ^ "No. 37875". The London Gazette (英語). 7 February 1947. p. 664.
  5. ^ "No. 37918". The London Gazette (英語). 28 March 1947. p. 1451.
  6. ^ "No. 37940". The London Gazette (英語). 25 April 1947. p. 1858.
  7. ^ "No. 38235". The London Gazette (英語). 12 March 1948. p. 1819.
  8. ^ a b "No. 38299". The London Gazette (英語). 25 May 1948. p. 3136.
  9. ^ "No. 38507". The London Gazette (英語). 7 January 1949. p. 145.
  10. ^ "No. 38647". The London Gazette (英語). 21 June 1949. p. 3078.
  11. ^ "No. 38878". The London Gazette (英語). 4 April 1950. p. 1671.
  12. ^ "No. 42484". The London Gazette (英語). 10 October 1961. p. 7296.
  13. ^ "No. 42898". The London Gazette (英語). 18 January 1963. p. 589.
  14. ^ "No. 43296". The London Gazette (英語). 14 April 1964. p. 3202.
  15. ^ "No. 43296". The London Gazette (英語). 14 April 1964. p. 3201.
  16. ^ "No. 43394". The London Gazette (英語). 28 July 1964. p. 6416.
  17. ^ "No. 44233". The London Gazette (英語). 24 January 1967. p. 827.
  18. ^ "No. 44377". The London Gazette (英語). 1 August 1967. p. 8515.
  19. ^ "No. 44529". The London Gazette (英語). 20 February 1968.
  20. ^ "No. 44576". The London Gazette (英語). 30 April 1968. p. 4907.
  21. ^ "No. 44735". The London Gazette (英語). 13 December 1968. p. 13433.
  22. ^ "No. 45079". The London Gazette (英語). 14 April 1970. p. 4187.
  23. ^ "No. 38756". The London Gazette (英語). 8 November 1949. p. 5318.
  24. ^ "No. 44482". The London Gazette (英語). 28 December 1967. p. 14168.
  25. ^ "No. 16436". The Edinburgh Gazette (英語). 9 May 1947. p. 189.
  26. ^ "No. 16556". The Edinburgh Gazette (英語). 2 July 1948.
  27. ^ "No. 17351". The Edinburgh Gazette (英語). 13 December 1955. p. 746.
  28. ^ "No. 19218". The Edinburgh Gazette (英語). 19 March 1973. p. 398.
  29. ^ "No. 18025". The Edinburgh Gazette (英語). 17 April 1962.
  30. ^ "No. 18509". The Edinburgh Gazette (英語). 11 November 1966. p. 846.
  31. ^ "No. 19294". The Edinburgh Gazette (英語). 14 August 1973. p. 951.
  32. ^ a b A commentary by the Government of Northern Ireland to accompany the Cameron Report incorporating an account of progress and a programme of action, CAIN web service, (1969), Appendix para.33, http://cain.ulst.ac.uk/hmso/nigov0969.htm 
  33. ^ "No. 2317". The Belfast Gazette (英語). 6 August 1965. p. 274.
  34. ^ Archived copy”. 2016年11月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年11月29日閲覧。
  35. ^ The Times & The Sunday Times”. thetimes.co.uk. 2018年4月8日閲覧。
  36. ^ Select Committee on Transport, Local Government and the Regions Nineteenth Report”. Select Committee on Transport, Local Government and the Regions. p. para.2. 2016年3月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年1月31日閲覧。 “licensed under Open Government Licence”
  37. ^ Select Committee on Transport, Local Government and the Regions Nineteenth Report”. Select Committee on Transport, Local Government and the Regions. p. para.13,14. 2016年3月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年1月31日閲覧。 “licensed under Open Government Licence”

関連項目[編集]