イエローキャブ (芸能プロダクション)

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株式会社イエローキャブ
Yellow Cab Co.,ltd
GazouBoshu.png
種類 株式会社
略称 イエキャブ
キャブ
本社所在地 日本の旗 日本
107-0062
東京都港区南青山2-13-14
青山深見ビル4階
設立 1980年昭和55年)
業種 サービス業
事業内容 タレントマネージメント
代表者 代表取締役社長:帯刀孝則
関係する人物 黒澤久雄(創設者)
野田義治(二代目社長)
佐藤紳司(前社長)
外部リンク http://www.yellow-cab.co.jp/ (日本語)
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イエローキャブ (Yellow Cab) は、日本芸能事務所である。

目次

[編集] 概要

もともとは、映画監督黒澤明長男である黒澤久雄が、黒澤フィルムスタジオの芸能事務所部門として「黒澤プロモーション」という名称で1980年昭和55年)に設立。黒澤が、父・明監督の映画『』の制作を手伝うことになるなど多忙を極めたため、遊び仲間で、かつていしだあゆみ朝丘雪路などのマネージャーを務めたこともある野田義治に実質的な経営をバトンタッチする。所属タレント第1号は山咲千里だったが、芸能活動の方向性を巡って事務所と山咲の家族との意見が合わず、山咲は程なく事務所を去ってしまう。

1983年昭和58年)、野田が自ら運営に携わったクラリオンガールコンテストから、堀江しのぶを発掘する。堀江はグラビアページやテレビ番組アシスタントテレビドラマ出演などで成功するが、事務所自体は苦しい経営が続く。更に堀江は人気絶頂の1988年昭和63年)に23歳の若さで病死し、事務所は大黒柱を失ってしまう。この年に現在の社名に変更し、野田が社長に就任する。

野田は堀江に続いてかとうれいこを発掘する。1989年平成元年)に第16代クラリオンガールに選ばれたかとうはグラビアで人気爆発、多くの雑誌の表紙や巻頭カラーを飾る。数年にわたり、高価な写真集の新作がまるで雑誌のごとく毎月のように本屋に並べられ売れ続けるという「写真集クイーン」となり、大成功をおさめた。その利益がイエローキャブの経営の基礎を作り、TV局に強いコネを持つ大手プロダクションの隙間を狙ってバストの豊かな女性を雑誌のグラビアで顔や名前を売る戦略を軌道に乗せた。その後も細川ふみえ雛形あきこらがテレビで人気者となっていった。また別会社として有限会社サンズ(後のサンズエンタテイメント)も設立したが、一方で野田のワンマン経営から資金繰りが悪化し、東洋コンツェルングループの傘下となる。しかし、現在は資本及び人的関係はない[要出典]

多くの所属タレントがTVで活躍するようになっていた2004年平成16年)末、経営上のトラブルで野田が社長を辞任し、会社を去った。野田が進めた多角経営が軌道に乗らなかった上に、野田が親会社に無断で所属タレントに株を交付したことで裁判沙汰に発展。その結果、取締役会で野田を代表取締役から解任する決議が了承された。

佐藤江梨子根本はるみらは留まり、小池栄子がサンズエンタテインメントから移籍したが、雛形あきこ、MEGUMIを筆頭に、所属タレントの大半が野田に追随し、野田が社長を務めるサンズエンタテインメント(サンズから社名変更)へと移籍したことで、イエローキャブの所属タレント数は大幅に減少し、規模も縮小した。

ただ、有力タレントである小池、佐藤、根本が残留したこと、また野田が社長時代に培った「イエローキャブ」の名称が持つブランドバリューもあり、現在も大手芸能事務所としての体を保っている。

野田が去ったあと、一時的に佐藤紳司が社長となるが、その後、帯刀孝則が代表取締役社長となる。野田が社長を務めた頃のグラビアアイドル路線ではなく女優などを所属させるようになってきている。

なお、サンズエンタテインメントはイエローキャブの子会社ではなく、資本及び人的関係はない。

[編集] 所属タレント

2010年平成22年)8月現在・太字は旧キャブ時代からの所属者)

[編集] 旧所属タレント

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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