イェンス・ストルテンベルグ
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Jens Stoltenberg
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| 生年月日 | 1959年3月16日(54歳) |
| 出生地 | |
| 出身校 | オスロ大学卒業 |
| 現職 | ノルウェー労働党党首 |
| 所属政党 | ノルウェー労働党 |
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| 内閣 | 第2次ストルテンベルグ内閣 |
| 任期 | 2005年10月17日 - 現職 |
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| 内閣 | 第1次ストルテンベルグ内閣 |
| 任期 | 2000年3月17日 - 2001年10月19日 |
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| 内閣 | ヤーグラン内閣 |
| 任期 | 1996年10月25日 - 1997年10月17日 |
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| 内閣 | 第3次ブルントラント内閣 |
| 任期 | 1993年10月7日 - 1996年10月25日 |
イェンス・ストルテンベルグ(Jens Stoltenberg、1959年3月16日 - )は、ノルウェーの経済学者、政治家。ノルウェー王国首相、ノルウェー労働党党首。
産業・エネルギー大臣、財務大臣などを歴任した。
目次 |
概要 [編集]
国務長官、環境大臣(1990年 - 1993年)、産業大臣(1993年 - 1996年)、財務大臣(1996年 - 1997年)を歴任し、2000年から2001年まで首相を務めた。一度政権を降りるが、2005年の赤緑連合の勝利により、10月17日に再び首相の座に就いた。
来歴 [編集]
生い立ち [編集]
1959年、母カリン・ストルテンベルグと父トールヴァル・ストルテンベルグの間に生まれる。カリンは国務長官、トールヴァルは外務大臣や国連高等難民弁務官を務めた政治家一家である。
ノルウェー労働党の青年組織(AUF)の代表を1985年から1989年まで務め、1990年から1992年まではオスロ労働党代表でもあった。
政治家として [編集]
党内では穏健派と言われ、「ノルウェーのトニー・ブレア」と譬えられることもある。1992年にはグロ・ハーレム・ブルントラントの後継を巡ってトルビョルン・ヤークランと争って敗れた。
グロ・ハーレム・ブルントラントを首班とする第3次ブルントラント内閣では、フィン・クリステンセンの後任として、1993年10月7日から1996年10月25日にかけて産業・エネルギー大臣を務めた[1]。ブルントラントの後継としてトルビョルン・ヤーグランが首相に就任し、新たにヤーグラン内閣が発足すると、1996年10月25日から1997年10月17日にかけて財務大臣を務めた[1]。
首相として [編集]
2000年に1期目の首相に就任。第一次政権で行なった、国営事業の民営化を伴う福祉国家路線の変更を巡っては与党内でも論争の的となった。2001年9月10日に行なわれた議会選挙では、ノルウェー労働党は得票率わずか24%という同党史上まれな大敗を喫し下野した。この結果、主導権を争っていたヤークランに執行部を掌握された。2005年の選挙においては、社会主義左翼党および中央党とともに赤緑連合を結成し、議席の大多数を占め、大勝。再び与党の座に返り咲き、2期目の首相就任を果たした。
2010年4月、長年ノルウェーとロシアとの間の懸案であった、バレンツ海と北極海の係争海域の帰属確定について、ロシアと合意した[2]。
2011年7月22日に首都オスロで発生したノルウェー連続テロ事件で首相府が入る政府庁舎が爆破されたが、事件当時には自宅におり難を逃れている[3]。
脚注 [編集]
- ^ a b "Medlemskap i regjering", Biografi: Stoltenberg, Jens, Stortinget.
- ^ 2011年3月11日の朝日新聞朝刊10面
- ^ “オスロで爆弾テロ、銃乱射も 死傷者多数”. 日テレNEWS24. (2011年7月23日) 2011年7月23日閲覧。
関連項目 [編集]
| 官職 | ||
|---|---|---|
| 先代: ヒェル・マグネ・ボンデヴィーク ヒェル・マグネ・ボンデヴィーク |
2000 - 2001 2005 - |
次代: ヒェル・マグネ・ボンデヴィーク (現職) |
| 先代: フィン・クリステンセン |
1993 - 1996 |
次代: グレテ・ヌードセン |
| 党職 | ||
| 先代: トルビョルン・ヤークラン |
ノルウェー労働党党首 2002 - |
次代: (現職) |
| 先代: エギル・ヌードセン |
ノルウェー労働党青年団代表 1985 - 1989 |
次代: トゥリト・ビルケランド |