ヤンシー・ブラゾバン

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ヤンシー・ブラゾバン
Yhency Brazoban
福岡ソフトバンクホークス時代(2011年9月28日 福岡 Yahoo! JAPAN ドームにて)
基本情報
国籍 ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国
出身地 サントドミンゴ
生年月日 (1980-06-11) 1980年6月11日(43歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
250 lb =約113.4 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1997年 アマチュア・フリーエージェントとしてニューヨーク・ヤンキースと契約
初出場 MLB / 2004年8月5日
NPB / 2011年8月21日
最終出場 MLB / 2011年7月19日
NPB / 2011年10月16日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ヤンシー・ホセ・ブラゾバンYhency José Brazobán , 1980年6月11日 - )は、ドミニカ共和国サントドミンゴ出身の元プロ野球選手投手)。

発音表記ではイェンシー・ブラソバン(Yen-see BRAH-so-bahn)がより近く、ではなくと濁らない[1]

経歴[編集]

プロ入りとヤンキース傘下時代[編集]

1997年7月10日に、外野手としてニューヨーク・ヤンキースと契約を結んだ。

2002年途中に投手へ転向した。

ドジャース時代[編集]

2003年12月13日にケビン・ブラウンとのトレードでジェフ・ウィーバーらとともにロサンゼルス・ドジャースへ移籍。

2004年はAA級ジャクソンビルで開幕を迎え、AAA級ラスベガスを経て8月5日のピッツバーグ・パイレーツ戦でメジャーデビュー。31試合に登板し6勝2敗、防御率2.48、WHIP1.22の成績を残し、ポストシーズンのロースターにも登録された。

2005年トミー・ジョン手術を受けたエリック・ガニエに代わりクローザーも務めたが、74試合の登板で4勝10敗21セーブ、防御率5.33、WHIP1.40の成績を喫する。

2006年4月14日に肘の靱帯損傷が発覚し、トミー・ジョン手術を受ける。

2007年5月23日のミルウォーキー・ブルワーズ戦で復帰を果たすが、4試合に登板後、右肩痛が発覚し内視鏡手術を受け、シーズンを終える。

2008年は5月にメジャーで2試合に登板するも、AA級ジャクソンビルとAAA級ラスベガスでシーズンの大半を過ごす。シーズン終了後にノンテンダーFAとなりドジャースとマイナー契約を結ぶ。

2009年スプリングトレーニングに招待選手として参加したが、3月19日に解雇される。

メキシカンリーグ時代[編集]

2010年は、リーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルミナティトラン・オイラーズメキシコシティ・レッドデビルズでプレーした。

メッツ傘下時代[編集]

2010年8月15日にニューヨーク・メッツとマイナー契約を結んだ。傘下AAAのバッファロー・バイソンズで10試合に登板した。

レンジャーズ傘下時代[編集]

2010年12月16日にはテキサス・レンジャーズとマイナー契約を結んだ。

2011年6月2日に解雇された。

ダイヤモンドバックス時代[編集]

2011年、アリゾナ・ダイヤモンドバックスとマイナー契約を結んだ。29日のクリーブランド・インディアンス戦で3年ぶりにメジャーに復帰。6試合に登板したが、7月20日に40人枠から外れマイナーに降格した。

ソフトバンク時代[編集]

2011年7月30日に、福岡ソフトバンクホークスへ入団した[2]

同年のシーズン終了までの在籍となったが、リリーフのみ15試合の登板で防御率0.56の好成績を残し、チームの2年連続リーグ優勝と8年ぶりの日本一に貢献した(なおクライマックスシリーズ日本シリーズでは登板機会はなかった)。

メキシカンリーグ復帰[編集]

2012年は、リーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルラグナ・カウボーイズベラクルス・レッドイーグルスでプレーした。

2013年は、所属球団が無かった。

独立リーグ時代[編集]

2014年は、アトランティック・リーグブリッジポート・ブルーフィッシュに所属するも1試合の登板で退団した。その後アメリカン・アソシエーショングランドプレーリー・エアーホッグスに入団するも5試合の出場で退団した。

選手としての特徴[編集]

メジャーでの通算与四球率4.39と制球力には欠けるものの、かつては荒れ球ながら最速99mph(約159km/h)の速球スライダーを武器としていた[3][4][5]。故障以後は平均球速93mph(約150km/h)の速球(フォーシーム、ツーシーム)とスライダー、チェンジアップで投球を組み立てるようになった[6]

福岡ソフトバンクホークス入団時の球団発表では、「平均150km/hの球威あるストレートに打者の手元で鋭く曲がるキレの良いスライダーとのコンビネーションで打者を打ち取るリリーフ経験豊富なパワーピッチャー[2]。」とコメントされた。

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2004 LAD 31 0 0 0 0 6 2 0 5 .750 133 32.2 25 2 15 2 0 27 1 0 9 9 2.48 1.22
2005 74 0 0 0 0 4 10 21 8 .285 317 72.2 70 11 32 4 5 61 1 0 46 43 5.33 1.44
2006 5 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 23 5.0 7 0 2 0 0 4 1 0 3 3 5.40 1.80
2007 4 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 12 13.2 6 2 3 1 0 5 0 0 4 3 16.20 3.60
2008 2 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 16 3.0 4 0 3 0 0 3 1 0 4 2 6.00 2.33
2011 ARI 6 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 31 6.0 8 1 3 1 0 8 0 1 4 4 6.00 2.00
ソフトバンク 15 0 0 0 0 0 0 1 2 ---- 61 16.0 8 0 5 1 1 12 1 1 1 1 0.56 0.81
MLB:6年 122 0 0 0 0 10 12 21 15 .454 532 121.0 117 14 59 8 5 108 4 1 68 64 4.76 1.46
NPB:1年 15 0 0 0 0 0 0 1 2 ---- 61 16.0 8 0 5 1 1 12 1 1 1 1 0.56 0.81

年度別守備成績[編集]



投手(P)












2004 LAD 31 1 4 0 1 1.000
2005 74 4 10 0 0 1.000
2006 5 1 0 0 0 1.000
2007 4 0 0 1 0 .000
2008 2 0 1 0 1 1.000
2011 ARI 6 0 0 0 0 ----
ソフトバンク 15 0 2 0 0 1.000
MLB 122 6 15 1 2 .955
NPB 15 0 2 0 0 1.000

記録[編集]

NPB

背番号[編集]

  • 43 (2004年 - 2008年)
  • 56 (2011年、2013年-)
  • 93 (2011年7月30日 - 同年終了)

脚注[編集]

  1. ^ Yhency Brazobán Stats” (英語). Baseball Reference.com. 2023年8月12日閲覧。
  2. ^ a b ヤンシー・ブラゾバン選手の入団について 福岡ソフトバンクホークス公式サイト 2011年7月30日
  3. ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2005』廣済堂出版、2005年、380頁頁。ISBN 4-331-51093-X 
  4. ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2007』廣済堂出版、2007年、411頁頁。ISBN 978-4-331-51213-5 
  5. ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2008』廣済堂出版、2008年、444頁頁。ISBN 978-4-331-51300-2 
  6. ^ Yhency Brazoban Pitch Fx

関連項目[編集]

外部リンク[編集]