イェドヴァブネ事件

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イェドヴァブネ事件の犠牲者を追悼する碑

イェドヴァブネ事件(-じけん、Pogrom w Jedwabnem)とは第二次世界大戦中の1941年7月に、ポーランドの町イェドヴァブネ近郊で起こったユダヤ人の虐殺事件(ポグロム)のことである。この虐殺事件は、長い間ドイツ軍部隊の仕業であると考えられてきたが、現在はほぼ全て、非ユダヤ系のポーランド人住人の手によるものであることがわかっている。この地域を占領中のドイツ軍がどれほど関わっているかはよくわかっていない。

虐殺事件[編集]

虐殺の見取り図
ユダヤ人は中心部の広場に集められて暴行を受けた後、赤破線のルートで連行されて焼き殺された。

1941年6月、ドイツ軍はソビエト侵攻の際、1939年の独ソ不可侵条約によってソビエトに併合された地域を即座に侵略した。この地域でナチスは、「ユダヤ人はポーランドに対するソビエトの犯罪行為を支援している」とプロパガンダを行い、ナチス親衛隊によって地域のユダヤ人を殺害するための特務部隊が組織された。イェドヴァブネ北東の町ヴィズナでは数十人のユダヤ人がドイツ軍によって銃殺されるところが目撃されている。

一ヵ月後の1941年7月10日朝にイェドヴァブネのポーランド人など非ユダヤ系住人は、(近隣のヴィズナやコゥルノから訪問中の者も含めて)ユダヤ人を見つけ次第連行しては、町の中央にある広場に追いやって暴行を加えた。その中から40~50人が連れ出され、ソビエト占領期に建造されたレーニンの像を無理矢理破壊させ、殺害の後に像の残骸と共に埋められた。

その少し後(一時間後あるいは二、三時間後と証言者によって異なる)、暴行で死ななかった残りのユダヤ人はユダヤ人墓地の前の小屋に集められ、閉じ込めた後で小屋を放火されて生きながらにして焼き殺された。

議論と調査[編集]

イェドヴァブネの虐殺事件はナチス親衛隊の特務部隊によるものであると一般には考えられていたが、1997年から2000年にかけてポーランド人アグニェシュカ・アルノルド(Agnieszka Arnold)が製作したドキュメンタリー映画Where is my older brother, Cain?」と「Neighbors」が公開されてから変化した。これらの映画の資料はポーランド人歴史家ヤン・T・グロスによる事件の詳細な研究書である。そこには、この虐殺はポグロムであることと、今まで考えられていたこととは違い、イェドヴァブネのユダヤ人たちは自分たちの近隣の非ユダヤ系住人たちにより、ドイツ軍による指揮あるいは協力なしに、包囲され、暴行され、焼き殺されたのだという結論に至るまでの記述がある。

当然のことながら、この本はポーランドで激しい議論を巻き起こし、多くの者がその結論に疑問を呈した。ルブリンカトリック大学とポーランド科学アカデミー政治学研究所の歴史学教授トマシュ・ストジェムボシュ(Tomasz Strzembosz)は、事件はポーランド人によるものではあるが、ドイツ軍による指揮があったと主張した[1]

そこで、国家記銘院Instytut Pamięci Narodowej, IPN)により徹底的な調査が行われ、2003年に報告書が提出された[2]。犠牲者の遺体発掘調査に際して、多くのユダヤ人たちは宗教上の理由から反対したものの、ポーランド法務省とIPNは遺体調査が事件の真相究明に不可欠だと主張し、実行される運びとなった。報告書では、グロスの調査結果のいくつかは支持されているが、犠牲者の数は約380人であり、グロスの示す1600人に比べて非常に少ない。また、現場には8人のドイツ人警官がいたことがわかった。したがって、ドイツ軍の関与の可能性にはいまだ議論の余地がある。証言者の多くは、虐殺の日にドイツ軍兵士を目撃したと主張している。しかし、虐殺の時にはいなかったと主張する者もいる。調査の記録から、非ユダヤ系ポーランド人の積極的な参加は疑いようがないが、どれ程の規模で、どういう性質のドイツ軍の関与があったのかは解決していない。それでも報告書は、「広い意味で」ドイツがこの事件の原因であるものとし、一方、「厳密な意味で」見積もって40人の非ユダヤ系ポーランド人が事件の原因であるものと結論づけている。

謝罪と和解[編集]

2001年、ポーランド大統領アレクサンデル・クファシニェフスキはポーランドを代表して公式にユダヤ人に謝罪した[3]。ポーランドのカトリック教会はイェドヴァブネの犠牲者の冥福を祈る特別ミサを行い、ポーランド人の加わった残虐行為に対する許しを神に祈った。

毎年7月10日には、ポーランド政府によりイェドヴァブネで追悼式典が行われている。

その後ポーランドの社会が変化すると共にユダヤ人やユダヤ教への理解が大きく進み、現在のポーランド人はヨーロッパで最もユダヤ人やイスラエル人に友好的な国民と自他共に認めるところとなっている[4][5]。ユダヤ教徒がほとんどいなくなったにも関わらず、クラクフなどの都市では非ユダヤ教徒とユダヤ教徒が一緒になってユダヤ教文化の祭りを毎年開いて名物になるなど[6]、宗教を超えた友情がはぐくまれている。

参考資料[編集]

  • Tekst postanowienia o umorzeniu śledztwa w sprawie zabójstwa obywateli polskich narodowości żydowskiej w Jedwabnem w dniu 10 lipca 1941 r. Instytut Pamięci Narodowej (IPN) Białystok 支部 2003年6月 (PDF) [7]
  • Jan Tomasz Gross, Neighbors: The Destruction of the Jewish Community in Jedwabne, Poland, Princeton University Press, 2001, ISBN 0142002402.
  • Dariusz Stola, "Jedwabne: Revisiting the evidence and nature of the crime", Holocaust and Genocide Studies, vol. 17, no. 1, Spring 2003, 139-152.
  • Antony Polonsky and Joanna B. Michlic (editors), The Neighbors Respond: The Controversy over the Jedwabne Massacre in Poland, Princeton University Press, 2003, ISBN 0691113068.
  • Marek Jan Chodakiewicz, The Massacre in Jedwabne, July 10, 1941: Before, During, After, Columbia University Press and East European Monographs, 2005, ISBN 0880335548.

関連項目[編集]

外部リンク[編集]