アーデル・ヤーノシュ

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Flag of Hungary.svg この項目では、ハンガリー語圏の慣習に従い、名前を姓名順で表記していますが、印欧語族風にヤーノシュ・アーデルと表記することもあります。
アーデル・ヤーノシュ
Áder János
János Áder 5832.jpg
アーデル・ヤーノシュ(2013年6月)

任期 2012年5月10日
首相 オルバーン・ヴィクトル

ハンガリーの旗 ハンガリー
国会議長
任期 1998年6月18日2002年5月15日

出生 1959年5月9日(55歳)[1]
ハンガリーの旗 ハンガリーチョルナ
政党 フィデス=ハンガリー市民同盟
配偶者 ヘルチェグフ・アニタ[2]
アーデル・ヤーノシュ(2000年)

アーデル・ヤーノシュハンガリー語: Áder Jánosハンガリー語発音: [aːdɛr jaːnoʃ]1959年5月9日 - )は、ハンガリーの政治家。2012年5月10日より、同国の大統領を務める。

経歴[編集]

ジェール・モション・ショプロン県の小さな町チョルナで育つ[3]。1978年から5年間、ブダペストエトヴェシュ・ロラーンド大学法学部で法律を学ぶ[1][3]。1986年から1990年まで、ハンガリー科学アカデミー社会学研究所研究員を務めた[1]

民主化勢力の緩やかな連合体であったフィデス=ハンガリー市民同盟の結成に参画し[4]、法律のエキスパートとして関わる。ハンガリーにおける一党独裁体制を終焉させた、1989年の円卓会議にも参加した[5]

1990年と1994年の総選挙で、フィデスの選挙キャンペーンを統べる[5]。国会議員を1990年から2009年まで[6]、国会議長を1998年から2002年までそれぞれ務めた[5]。国内の司法制度改革案や選挙法案の作成にも助力した[4][6]

2009年欧州議会議員選挙欧州議会議員に当選[5]

2012年4月16日、フィデスとオルバーン・ヴィクトル首相から、辞任したシュミット・パール大統領の後任に指名される。それから5月2日の選出を経て[6]、5月10日に正式に着任[4]。新憲法が同年の1月1日に施行されてから、最初に就任した大統領となった[6]

私生活[編集]

裁判官の妻ヘルチェグフ・アニタとの間に、一男三女がいる[7]。アーデルの義父にあたるヘルチェグフ・ゲーザは1993年から2003年まで、ハーグ国際司法裁判所裁判官であった。

脚注[編集]

公職
先代:
ガール・ゾルターン
国会議長
1998年 – 2002年
次代:
シリ・カタリン
先代:
ケヴェール・ラースロー
代行
ハンガリーの大統領
2012年 – 現職
現職
党職
先代:
ポコルニ・ゾルターン
フィデス=ハンガリー市民同盟党首
2002年 – 2003年
次代:
オルバーン・ヴィクトル