アーデルハイト・ツー・ホーエンローエ=ランゲンブルク

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アーデルハイト・ツー・ホーエンローエ=ランゲンブルク、1860年
母フェオドラと少女時代のアーデルハイトを描いたリトグラフ、1841年

アーデルハイト・ツー・ホーエンローエ=ランゲンブルク(ドイツ語全名:Adelheid Victoria Amalie Louise Maria Konstanze zu Hohenlohe-Langenburg, 1835年7月20日 - 1900年1月25日)は、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン公フリードリヒ8世の妃。

ホーエンローエ=ランゲンブルク侯エルンスト1世とその妻のフェオドラ・ツー・ライニンゲンの次女として、ライニンゲンで誕生した。母フェオドラはイギリス女王ヴィクトリアの異父姉にあたる。

1851年から、アーデルハイトはフランス皇帝ナポレオン3世の花嫁候補の一人と目された。彼女がイギリス女王の姪というよりも、ドイツ諸侯の子女であることが重要視された。しかしナポレオン3世が王侯出身でないウジェニー・ド・モンティジョと1853年に結婚したことから、この話は立ち消えとなった。

1856年にフリードリヒと結婚し、7人の子女をもうけた。