アーサー・レッサー

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アーサー・レッサーArthur Loesser, 1894年8月26日 - 1969年1月5日)は、アメリカピアノ奏者[1][2]。弟フランクは作曲家。

ニューヨークの生まれ。ピアニストだった父から音楽教育を受け、音楽芸術研究所シギスムント・ストヨフスキとパーシー・ゲチウスに師事。 1913年にベルリンに行ってデビューを飾り、1914年から1919年までヴァイオリニストのモード・パウエル、1920年から翌年までミッシャ・エルマン、その後1922年までエルネスティーネ・シューマン=ハインクの伴奏者をそれぞれ務めた。 1926年からクリーヴランド音楽院で教鞭をとる一方で、指揮者のヴィルフリート・ペレティエとピアノ・デュオを組んだり、アルトゥル・ボダンツキーと共演したりと、活発な演奏活動を行った。また、音楽評論にも手を染め、1936年から1941年までクリーヴランド管弦楽団のプログラム・ノートを引き受けている。1943年から日本担当のアメリカ陸軍諜報部員として勤務し、終戦後は日本でもピアノ・リサイタルを開いた。戦後も活発な音楽及び執筆活動続け、『アメリカの歌におけるユーモア』等の本を出版している。

クリーヴランドにて没。

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  1. ^ [1]
  2. ^ [2]