アーサー・テューダー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ウェールズ公アーサーの唯一現存する肖像画。王室コレクションの一部として記載されながら、長い間行方不明だった。

アーサー・テューダーArthur Tudor, 1486年9月20日1502年4月2日)はイングランドヘンリー7世と王妃エリザベスの第1王子でヘンリー8世の兄。プリンス・オブ・ウェールズに立てられたが、国王即位を果たせずに早世した。

生涯[編集]

エリザベス・オブ・ヨークヨーク家エドワード4世の王女で、ヘンリー7世は対立するランカスター家の系統だったことから、2人の結婚によって長引く薔薇戦争の内乱は終止符を打たれた。翌1486年、第1子アーサーが誕生すると、王太子ウェールズ公)として、将来を期待された。アーサーの名前は、アーサー王伝説の根強いウィンチェスターで誕生したから、とされる。

1489年3月、アーサーはアラゴンフェルナンド2世カスティーリャ女王イザベル1世の末娘カタリーナ・デ・アラゴン(英語名:キャサリン・オブ・アラゴンCatherine of Aragon1487年 - 1536年)と婚約した。アーサーは2歳、キャサリンはまだ0歳だった。

しかしイングランド側がスペイン(カスティーリャ=アラゴン)側に、20万クラウンという破格な額の持参金を請求したことと、国際情勢のために、婚約は何度も破綻の危機に面した。1501年10月、ようやくキャサリンはプリマス港に上陸、11月、ウェストミンスター寺院においてアーサーとキャサリンは結婚式を挙げた。

同年12月、アーサーはキャサリンを連れてウェールズラドロー城へ移った。しかしアーサーは生来病弱な体質で、翌1502年に重い感冒にかかり、4月2日に高熱のため15歳の若さで没した。

残されたキャサリンは、アーサーの弟である第2王子ヘンリー(後のヘンリー8世)と婚約し、ヘンリーの即位により王妃となった。後にヘンリー8世はキャサリンと離婚するが、離婚理由として先夫アーサー王太子との肉体関係の有無が問題となった。キャサリンは肉体関係はなかった、と神にかけて宣誓した。

参考文献[編集]

  • 大野真弓 『新版英国史』 山川出版社 1984年 ISBN 4634410109
  • 石井美樹子 『薔薇の冠』 朝日新聞社 1993年 ISBN 4022566655
  • 小西章子 『スペイン女王イサベル』 鎌倉書房 1980年
  • 森護 『英国王妃物語』 三省堂 1992年 ISBN 4385433259

関連項目[編集]