アーサー・ケイリー

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アーサー・ケイリー
人物情報
生誕 1821年8月16日
イギリスの旗 イギリス イングランドの旗 イングランド サリー リッチモンド (ロンドン)
死没 1895年1月26日(満73歳没)
イギリスの旗 イギリス イングランドの旗 イングランド ケンブリッジ
出身校 トリニティ・カレッジ (ケンブリッジ大学)
学問
研究分野 数学
研究機関 ケンブリッジ大学
主な業績 射影幾何学群論ケイリー・ハミルトンの定理ケーリー=ディクソンの構成法
主な受賞歴 コプリ・メダル(1882年)
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アーサー・ケイリー(Arthur Cayley、1821年8月16日 - 1895年1月26日)は、イギリス数学者弁護士行列に関するケイリー・ハミルトンの定理で有名。

生涯[編集]

17歳の時にトリニティ・カレッジに入学する。期限付きの研究職に就いたために他の仕事を選ぶことになり法曹を目指す。

25歳の時にロンドンのリンカン法曹学院に入り譲渡契約を専門とした。ただし数学を捨てず、司法試験の受験生だったにも関わらず、ハミルトン四元数の講義を聴くためにダブリンへ行くなどしている。その後に弁護士になり、活動中の14年間に約250の数学論文を書いた。

1863年、42歳でケンブリッジ大学サドレア教授職に就く。後には更に約650の論文を書き上げた。ただし書籍は、1876年に出版された楕円関数についての1冊しか執筆していない。そして1895年、74歳で死を迎えた。