アンドレイ・カシェチキン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
|
||||
|---|---|---|---|---|
ツール・ド・ロマンディ2007のプロローグ
|
||||
| 個人情報 | ||||
| 本名 |
|
|||
| 愛称 | Kash | |||
| 生年月日 | 1980年3月21日(33歳) | |||
| 国籍 | ||||
| 身長 | 184cm | |||
| 体重 | 72kg | |||
| チーム情報 | ||||
| 所属 | アスタナ | |||
| 分野 | ロードレース | |||
| 役割 | 選手 | |||
| 特徴 | オールラウンダー | |||
| プロ所属チーム | ||||
|
2001–2002
2003 2004–2005 2006 2007 2010–2011 2011– |
ドモ=ファルム・フリテス クイックステップ・ダヴィタモン クレディ・アグリコル リベルティ・セグロス=ヴュルト アスタナ ランプレ=ファルネーゼ・ヴィーニ アスタナ |
|||
| 主要レース勝利 | ||||
| ブエルタ・ア・エスパーニャ 区間1勝 パリ~ニース 区間1勝 |
||||
| 最終更新日 2012年1月25日 |
||||
アンドレイ・カシェチキン(カザフ語表記:Андрей Кашечкин。ラテン文字翻記:Andrey Kashechkin、1980年3月21日 - )は、カザフスタンの自転車競技選手。
経歴 [編集]
2001年、ドモ・ファルムと契約を結んでプロ転向。
2003年、クイックステップ・ダヴィタモンに移籍。
2004年、クレディ・アグリコルに移籍
- グランプリ・ド・フルミー 優勝
2005年、ツール・ド・フランスに初出場。新人賞部門で2位に入る(総合19位)。
2006年、同胞のアレクサンドル・ヴィノクロフがリーダーを務める、アスタナに移籍。
- パリ〜ニース 区間1勝(第6)
- 国内選手権・個人ロードレースを制覇。
- ブエルタ・ア・エスパーニャではヴィノクロフをアシストしながらも、第18ステージを制し、また総合3位と健闘。
- ツール・ド・ロマンディ 総合3位
- ドーフィネ・リベレ 総合3位に入り、
- その後ツール・ド・フランスへと挑んだが、エースのヴィノクロフのドーピング発覚騒動が発端となり、選手全員をツールから撤退させるという意向により、第15ステージ終了後に棄権。
- そしてヴィノクロフのドーピング騒動はカシェチキンにも及ぶことになった。同年8月1日、トルコのベレクで行なわれた抜き打ち検査で、血液ドーピングの陽性反応が出る[1]。そして同月31日、Bサンプル検査においても陽性反応が出た[2]ことから、チームを解雇された。
2009年、出場停止期間の明けたカシェチキンはレース復帰を目指したが所属チームを見つけることは出来なかった。
2010年7月、ランプレ=ファルネーゼ・ヴィーニ(現 ランプレ・ISD)と契約。
- 4年ぶりに出場したブエルタ・ア・エスパーニャでは、総合18位に入った。
外部リンク [編集]
- 公式サイト
- アンドレイ・カシェチキン - サイクリングアーカイヴス (英語)
脚注 [編集]
- ^ カシェチキン陽性 再び窮地に立たされるアスタナ(サイクリングタイム2007年8月9日付記事)
- ^ アスタナ Bサンプル検査の結果カシェチキンの解雇を発表(AFPBBニュース2007年9月1日付記事)
- ^ アスタナ公式サイトのニュースページ
|
||||||||