アンディー・ラザフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ジャンゴとホークのシングル「ハニーサックル・ローズ」1937(ピアノはグラッペリ)

アンディー・ラザフ (1895年11月16日~1973年2月3日)は北米の詩人・作曲家・作詞家。

ルイ・アームストロングの真の出世作となった『浮気はやめた』『ハニーサックル・ローズ[1]で知られる。

生涯[編集]

右上から9個目の小区画が合衆国首都ワシントンDC
マダガスカル島
桃色がマンハッタン島、赤丸がハーレム地区

ワシントンD.C.で誕生。出生名はアンドリアナマナンテナ・ポール・ラザフィンカリーフォ(Andriamanantena Paul Razafinkarefo)。

父親は、マダガスカル島に17世紀に成立したメリナ人の国メリナ王国の女王の甥だった。

母親はメリナ王国初の黒人アメリカ人宰相ジョン・L・ウォーラーの娘。

マダガスカルにフランス軍が侵略し、ラザフの父は戦死し、妊娠中の母(15歳)はアメリカに亡命した。そして1895年にアンディーを生んだ。[2]

ハーレムで育つ。16歳で学校をやめ、ティン・パン・アレー地区のオフィス・ビルのエレベーター・ボーイとなった。1年後、処女作を書き作詞家になった。この時期、タイムズ・スクエアグレイハウンド・バスの停留場のGaiety Theatre(当時、黒人版ティン・パン・アレーであった)で多くの時間を過ごす。[3]

初期の作品は1917-18年に新黒人運動の初の新聞Voiceで発表され、ユービー・ブレイク、ドン・レッドマン、ジェームズ・P・ジョンソン、ハリー・ブルックス、ファッツ・ウォーラーとの共作だった。 ウォーラーとの共作は

  • 『浮気はやめた』
  • 『ハニーサックル・ローズ』、
  • 『ジョイント・イズ・ジャンピン』
  • 『ウィロー・ツリー』
  • 『キーピン・アウト・オブ・ミスチーフ・ナウ』
  • 『(ワット・ディド・アイドゥー・トゥー・ビー・ソー)ブラック・アンド・ブルー』

など。

彼の作品はベニー・グッドマン, ユービー・ブレイク, キャブ・キャロウェイなどが演奏した。

1972年ソングライターの殿堂入り。[4]

[編集]

1973年、カリフォルニア州・北ハリウッドで癌で死去。77歳没。

歌曲群[編集]

ソングライターの殿堂に登録されているのは215作品。 [1]出版しなかった作品も多く、伝記によると800曲。重要な作品は以下。

録音[編集]

彼の作品集は次の二つのみ。

  • Maxine SullivanA Tribute to Andy Razaf(1956年,Leonard Featherプロデュース)。2006年に My Memories of Youとして(2曲追加して)再発。
  • Bobby ShortGuess Who's in Town(1987年), 2001年にBobby Short Loves Cole Porterとの2in1で再発。

詩作品[編集]

  • Wired, Hired, Fired:人種差別を嘆いた作品
  • Jack Johnson:伝説的な黒人ボクサーを歌ったもの

参照[編集]

  1. ^ アームストロングは1935年の自伝『swing that music』で1929年を振り返り、「僕らがニューヨークについて一ヶ月もしないうちに大きなチャンスがやってきた。もう9月くらいだった。それはこんな風にして起こったんだ。 リロイ・スミスはハーレムのレノックス・アヴェニューのコニーズ・インに自分のバンドを持っていた(コニーズがブロードウェイの劇場地区に引っ越すだいぶ前の話だ)。コニーは『ホット・チョコレート』という全員黒人キャストのミュージカルを組織し、プロデュースしてい、それはヒットしてブロードウェイのハドソン劇場で興行していた。彼はハーレムのナイトクラブからキャストを採用していて、最高の黒人パフォーマーたちのうちの上澄みの部分を使っていた。コニーはリロイ・スミスのオーケストラをそのショーに欲しがり、彼らはコニーズ・インから引き揚げ、代わりに良いバンドが必要だった。で、僕らが現れたってわけだ。 僕らは仕事をつかんだ。なんて幸運だ!あんなふうに大都市にやってきて一ヶ月で全ニューヨークのトップスポットのひとつに落ち着くとは。僕らがそこで仕事を始めた後、僕自身は別の大きなブレイクを果たした。コニーは僕に、そのレヴューでリロイ・スミスと共演し、トランペットをフィーチャーした曲を演目の中でやることを依頼してきた。ショーの後にはコニーズ・インの僕のバンドに参加しながらだ。  『ホットチョコレート』の中で僕は「エイント・ミスビヘイヴィン」という歌を披露し、高音域のトランペットソロを演奏した。最初に聴いた時からその歌は僕に語りかけていた。僕はその曲を自由に演奏できるまで練習した。それは「ヒービージービーズ」や「チャイナタウン」や「トレジャーアイランド」のように、自由に遊べてスイングできる歌だった。僕らがその曲を始めたとき、僕は準備万端で、劇場は大騒ぎになった。本当だよ!あの偉大な曲のおかげで僕は全国に知られるようになったんだ。」と書いている。
  2. ^ Zinsser (2006), p. 71-2
  3. ^ Broadway: An Encyclopedia by Ken Bloom. Routledge; 2 edition (November 11, 2003); ISBN 0-415-93704-3
  4. ^ Songwriters Hall of Fame website

伝記[編集]

  • 『Black and Blue: The Life and Lyrics of Andy Razaf』筆者:Barry Singer, 1993年、ISBN 0-02-872395-3
  • 『Easy to Remember: The Great American Songwriters and Their Songs』著者:William Zinsser, David R. Godine Publisher, 2006年, ISBN 1-56792-325-9
  • 『The Poets of Tin Pan Alley: A History of America's Great Lyricists』著者:Philip Furia, ISBN 0-19-507473-4
  • 『Who's Who of the Colored Race, Memento Edition Half-Century Anniversary of Negro Freedom in U.S.』Gale Research Company, Book Tower Detroitから再発, 1976年

外部リンク[編集]