アンディ・ルーク

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アンディ・ルーク
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基本情報
出生 1964年1月17日(50歳)
イングランドマンチェスター
ジャンル ロックポップス
職業 ミュージシャン
担当楽器 ベース・ギター
共同作業者 ザ・スミスモリッシー

アンディ・ルークAndrew Michael Rourke、1964年1月17日-)は、イギリスマンチェスター出身のベーシストザ・スミスのメンバーとして知られる。

略歴[編集]

スミス加入以前のルークは、学友のジョニー・マーと組んだファンク・バンド、フリーク・パーティなど、いくつかのバンドでベースギターを弾いていた。

マーとモリッシーがスミスを結成すると、ルークは2回目のライブでバンドに参加し、そのままバンドに加入した。マーはアルバム、クイーン・イズ・デッドのルークについて「他のどんなベースプレイヤーでも合わない」と評した。一方でルークは薬物に溺れ、一通の手紙とともにバンドから解雇を言い渡されたとテレビニュースで報道される。モリッシーからの手紙が彼の車のワイパーに挟まっており、そこには「アンディ、君はスミスを去った。幸運を祈る。さようなら。」と書かれていたという。このことをモリッシーは否定している。[1]

ルークはクイーン・イズ・デッド発売後の1986年5月にスミスへ復帰する。その後バンドは解散し、ルークとスミスのドラマー、マイク・ジョイスシネイド・オコナーのアルバム『蒼い囁き』に参加した。このリズム隊はクレイグ・ギャノンとともにスミスのシンガー、モリッシーの2枚のシングル、『インテレスティング・ドラッグ』、『ザ・ラスト・オブ・ザ・フェイマス・インターナショナル・プレイボーイ』にも参加。ルークはモリッシーの楽曲『イエス・アイアム・ブラインド』、『ガール・リースト・ライクリー』、『ゲット・オフ・ザ・ステージ』の作曲を手掛け、『モンスターが生まれる11月』『ピカデリー・パラーレ』でベースを弾いている。

その他、プリテンダーズ1994年『ラスト・オブ・インディペンデンツ』)、キリング・ジョークバッドリー・ドローン・ボーイアジス・イブラヒム(元ストーン・ローゼズのギタリスト)の作品に参加し、元オアシスのギタリスト、ボーンヘッドとともにムーンドッグ・ワンを結成した。このバンドにはマイク・ジョイス、クレイグ・ギャノンも含まれる。

ルークはマイク・ジョイスがモリッシー、マーを相手取って起こしたロイヤリティーを求める裁判に同席した。ジョイスはその後も裁判を続けたが、ルークは80000ポンドを受け取ることで手を打ち、破産を宣告された[2]

ルークと長期間マネージャーを務めるノヴァ・レーマンの制作会社、グレート・ノーザン・プロダクションズは、癌に対するチャリティイベント「マンチェスターVs.キャンサー」を2006年1月に開催した。このコンサートはノヴァの父親や妹の癌をきっかけに行われ、元スミスのバンドメイト、ジョニー・マーがパフォーマンスした。

現在ルークはXFMマンチェスターでDJをしており、新旧インディアンセムを土曜の夜に流している。

そしてベースプレイヤーのマニ(元ストーン・ローゼズ)、ピーター・フックニュー・オーダー)、シンガーのゲイリー・ブリッグスとスーパーグループ、フリーベースというバンドを組んでいる[3][4]。2010年にはシングルやアルバムを出している[5]

彼の主催で始まった「マンチェスターVs.キャンサー」は、2007年オアシスノエル・ギャラガーゲム・アーチャーポール・ウェラーイアン・ブラウンシャーラタンズエコー&ザ・バニーメンマッカルモント&バトラー、ボーンヘッドの新バンド・エレクトリック・ミルクが、2008年にはフラテリスジ・エネミーバッドリー・ドローン・ボーイインスパイラル・カーペッツハッピー・マンデーズザ・ビューアスリートザ・ファームが出演した。2008年にはスコットランドでもイベントが行われ、フラテリス、プロクライマーズなどが出演した。近年はイアン・ブラウンのツアーに帯同し、ベースを弾いている。

ベース[編集]

ザ・スミスのアルバムで聴こえるルークのベースはとても鼻にかかるような音をしている。主に2本の異なったベースを使用し、64フェンダー・プレシジョンベースはライブパフォーマンスで、ヤマハBB2000はレコーディングの際に用いられる。トーンダイヤルは最大限に回され、ピックを使用して演奏する。

ディスコグラフィ[編集]

ザ・スミス[編集]

モリッシー[編集]

  • ボナ・ドラッグ (1990)

脚注[編集]

外部リンク[編集]