アンダーグラウンド (文化)

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アンダーグラウンド(underground)は、反権威主義などを通じて波及し、1960年代後半に起こった、商業性を否定した文化芸術運動のことを指す[1]。広義には、単に非公式・非合法であることをいう[1]アングラと略される。

1960年代カウンターカルチャー[編集]

アンダーグラウンドの定義は、こうした一般に認知される可能性の低い、水面下に密かに行われていた活動を指している。[独自研究?] 1960年代のアメリカやヨーロッパを起点として、西側社会(主に資本主義システムとキリスト教規律)に対する政治的・文化的な対抗、権威主義保守主義旧左翼、エスタブリッシュメント、政治家、資本家・大企業への反発・抵抗は、ヒッピーなどの若者を中心にしたカウンターカルチャーとして発展した[2]。彼らが唱えた価値観は、文化多元主義、東西の宗教を融合したニューエイジ宗教、反資本主義、新左翼思想、社会主義的平等、自由恋愛(と性行為)、反キリスト教的価値観、マイノリティの尊重、フェミニズムLGBT性的マイノリティ)の受容、ドラッグの合法化、自然との調和・エコロジーなどである。

これら運動の前身としては、アメリカの奴隷制に抵抗した地下鉄道 (秘密結社)、戦前の全体主義に対抗したレジスタンス運動や、戦後のパリ実存主義運動、1950年代のビートニクスなどが挙げられる。

カウンターカルチャー・ムーブメントの副産物として、いくつものアンダーグラウンドな文化の開拓が後押しされた。アメリカでは、カウンターカルチャーの担い手で、反体制的な曲が多いフランク・ザッパや性のタブーの曲が多いヴェルヴェット・アンダーグラウンドなどはアンダーグラウンドな要素を持っていた。なおドアーズもポップなヒット曲が多かったが、グループの持つ体質からはアンダーグラウンド的な雰囲気が濃厚にただよっていた。ティモシー・リアリーはドラッグの使用を追求した。オフ・ブロードウェイはメインストリーム受けを狙わない劇団が多く[3]en:The Living Theatre反芸術スタイルの前衛パフォーマンスのパイオニアであった。

ヨーロッパでは、既存の演劇に反発するアンチテアトルが起こった。シチュアシオニスト・インターナショナルの反体制的政治思想は、アンダーグラウンドなアートや音楽に対して大きな影響を与えた(en:UK undergroundパンクなど)。

日本では1960年代ごろから、前衛芸術である前衛美術、前衛映画、前衛演劇や暗黒舞踏(既存の価値観からはグロテスクと思えるような動きを多数追求した)などが登場した。その担い手としては、アングラ演劇では寺山修司らの天井桟敷などが代表としてあげられる。現代美術は「具体美術協会」が創設され、極めて革新的な美術表現が展開された。日本映画界は新たな映像美を求め、大島渚らの映画監督が松竹ヌーヴェルヴァーグのムーブメントを興した。 また若松孝二や寺山修司、吉田喜重らの映画が、ATGの協力を得て制作された。暗黒舞踏では大野一雄、土方巽らが活躍した。

元々は、社会の主流や権力による抑圧や不正義に抵抗する運動という意味合いだったものが、商業主義に対抗する前衛的(意味不明)芸術またはタブーに挑戦する悪趣味的芸術という意味にもなり、さらには国家権力に反抗するという意味で単なる犯罪行為(不正義そのもの)も意味するようになった。

カウンターカルチャーとアンダーグラウンド・カルチャーの違いは、どちらも主流(メインストリーム)の文化や体制に対抗するが、カウンターカルチャーは実際に対抗勢力や新たな体制になりうる価値を持ち社会全体を巻き込むレベルとなるのに対し、アンダーグラウンドは常にメインストリームにはなり得ず一部のコアな層に支持されるサブカルチャーのレベルに止まることである[4]。メインストリームになった時点で新たな体制の一部となり、もはやアンダーグラウンドではなくなるのである。例えば、人種差別や女性差別、性的マイノリティの差別は、60年代のカウンターカルチャームーブメントによって社会のメインストリームの座を譲った。また、旧来のキリスト教(特にカトリック)による婚前交渉や離婚の禁止など厳格な性の規範は消え去り、自由恋愛が社会のメインストリームとなった。しかし、ドラッグの推奨などは中毒などの危険性もあり、メインストリームにはなっていない。

1960年代カウンターカルチャー思想はメインストリームとなったことで、皮肉にも後の世代から「権威」と目されるようになってしまった。このため後のサブカルチャーは必然的に右旋回することになった[5][6]

関連する運動・芸術[編集]

社会運動
反抗音楽

これらは現在ではメインストリームの一部となったものも多い。

アングラアート[編集]

大衆向けでない前衛芸術のこと。

アングラフォーク[編集]

アングラ演劇[編集]

アングラ雑誌[編集]

地下出版[編集]

エログロナンセンス[編集]

関東大震災と世界的不況を背景にした昭和初期の日本では、国の倦怠感や封建的政府の硬直性から、いわゆる「エログロナンセンス」が社会の一部で流行した[7]エロは比較的多数の人が興味を持つ分野であるため、商業主義として成り立ちやすい。しかし、他ジャンルと比較して政治権力や民間人による規制が強く、それに対する反抗が求められるという意味でアングラである。その時代の許容度を超えると発禁にされることが多い。また、内輪向けに作品が発表されるアンダーグラウンドな芸術分野において、頻繁に表現が試みられている分野でもある。

インターネット[編集]

インターネット上における「アングラ」は、表沙汰にはできない内容を扱う文化、例えばエログロ画像の流布、誹謗中傷の流布、インターネット犯罪や違法行為と関連するサイトのことを指す。「アングラサイト」とも呼ばれる。

パソコン通信のアングラ系草の根BBSに端を発し、特にインターネットの法規制が少なかった1990年代に多数存在したが、法規制増加後は自主規制やIPアドレス開示対応を行ったり、Torなどを使用しダークウェブに潜るなどして存続している。

日本においてアンダーグラウンド文化の集積地となったのは、2ちゃんねるである。ただし、運営側は、「誰もが自由に書き込みが出来る匿名掲示板のシステムには、アンダーグラウンド(UG アングラ)のイメージが付きまといますが、運営者としてはそういうスタンスではありません。すべては利用する皆さんの良識にかかっています」としている[8]

また創始者の西村博之は、裁判で敗訴した分の巨額賠償金や税金の未払いについて、質問をした報道陣に対し「支払わなくてもどうということはないので支払わない」「踏み倒そうとしたら支払わなくても済む。そんな国の変なルールに基づいて支払うのは、ばかばかしい」と、支払いの意思がないことを明らかにした[9]。その後2010年1月、書籍『ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない』(ISBN 978-4104715213)の印税新潮社から掲示板運営者に支払われていることに着目し、印税を差し押さえることで初めて損害賠償金が回収されている[10]。西村への捜査に関する国家賠償請求訴訟について 「2ちゃんねる」(2ch.net)で覚醒剤の購入を持ちかける違法な書き込みが放置された事件で、2012年3月に麻薬特例法違反(あおり・唆し)のほう助容疑で、警視庁は西村の自宅等を捜索・差押えしたが逮捕はされていない。

アングラサイトの話題や違法行為、反社会的行為[編集]

関連人物[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b 日本国語大辞典,デジタル大辞泉,世界大百科事典内言及, 精選版. “アングラとは”. コトバンク. 2021年9月16日閲覧。
  2. ^ Theodore Roszak, The Making of a Counter Culture: Reflections on the Technocratic Society and Its Youthful Opposition, 1968/1969, Doubleday, New York,ISBN 978-0-385-07329-5.
  3. ^ The 10 Most Controversial Shows On and Off-Broadway
  4. ^ Contre-cultures : théorie & scènes Introduction
  5. ^ 外山恒一学生運動入門 2.歴史篇
  6. ^ 「不自由展」をめぐるネット右派の論理と背理――アートとサブカルとの対立をめぐって/伊藤昌亮 - SYNODOS
  7. ^ 昭和エロ・グロ・ナンセンスと震災後の世相(WEBRONZA)
  8. ^ 2ちゃんねるガイド:基本
  9. ^ 2ちゃんねる賠償金「死刑なら払う」…管理人・西村氏(2007.3 読売新聞社 ウェブアーカイブ)
  10. ^ 2ちゃんねるから「賠償金」 回収成功は極めて珍しいケース - 2010.2J-CASTニュース2020年3月23日閲覧