アンゼルム・フォイエルバッハ

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アンゼルム・フォイエルバッハ

パウル・ヨハン・アンゼルム・フォン・フォイエルバッハ(Paul Johann Anselm von Feuerbach, 1775年11月14日 - 1833年5月29日)はドイツ刑法学者。四男はヘーゲル左派の哲学者ルートヴィヒ・アンドレアス・フォイエルバッハである。名前はフォイエルバハとも表記される。

人物[編集]

イェーナ大学カール・レオンハルト・ラインホルトの指導を受け、カント哲学を学び、名誉博士号を取得した後、妻子の扶養のために法学を学び、1799年に法学博士号取得。法学部の私講師となり、1801年にはレーン法の無給教授となる。

その後キール大学バイエルンランツフート大学で研究を続ける。

バイエルンではバイエルン刑法典草案を起草し、1813年にこの草案を基にした刑法典が公布された。カスパー・ハウザーの事件では、事の顛末一切の記録を本に著している[1]。死後の解剖報告書も添付されている。

1814年にバンベルク控訴裁判所第二所長、1817年にアンスバッハ控訴裁判所第一所長となる。1833年に卒中を起こし死去。

脚注[編集]

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  1. ^ 日本語訳:『カスパー・ハウザー』(西村勝彦訳、福武文庫)