アンジェイ・モストフスキ
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| Andrzej Mostowski | |
|---|---|
| 人物情報 | |
| 誕生 | 1913年11月1日 |
| 死没 | 1975年8月22日(61歳) |
| 国籍 | |
| 学問 | |
| 研究分野 | 数学 |
| 研究機関 | ワルシャワ大学 |
| 母校 | ワルシャワ大学 |
| 博士課程 指導教員 |
カジミェシュ・クラトフスキ アルフレト・タルスキ |
| 博士課程 指導学生 |
en:Andrzej Ehrenfeucht en:Moshé Machover ヘレナ・ラショーヴァ ローマン・シコルスキ Pawel Zbierski |
アンジェイ・モストフスキ(1913年9月1日 – 1975年8月22日)はポーランドの数学者。モストフスキ崩壊補題で有名。 オーストリア=ハンガリー帝国のリヴィウで生まれる。
1931年ワルシャワ大学に入学。クラトフスキ,リンデンバウム,タルスキの影響を受ける。1939年博士号取得。公式にはクラトフスキに指導を受けたとされているが、実際には若かったタルスキから指導を受けていた。彼はドイツのポーランド侵攻の後、会計士になった。しかし、隠れてワルシャワ大学で研究を続けていた。1944年のワルシャワ蜂起の後、ナチスは彼を強制収容所に入れようとしたが、ポーランド人看護師の助けを借りて病院に逃れた。食糧を持っていくため、研究成果の詰まったノートを置いていくしかなかった。戦後、その一部は彼が再構成したがほとんどは不明のままである。
彼の研究の大部分は再帰理論と決定不能性についてである。1946年からカナダのバンクーバーで死去するまで、彼はワルシャワ大学で研究を続けた。その時の研究の大部分は、前順序の論理とモデル理論である。
彼の息子のタデウスも数学者になり、微分幾何学の研究している。[1]Krzysztof Kurdykaとアダム・パルシンスキーと共に、ルネ・トムの en:gradient conjectureを2000年に解決した。