アロー航空

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アロー航空
Arrow Air
IATA
JW
ICAO
ARW
コールサイン
BIG A
設立 1947年
運航停止 2010年7月1日
ハブ空港 マイアミ国際空港
保有機材数 11機
就航地  
本拠地 フロリダ州マイアミ
代表者 Guillermo J. (Willy) Cabeza
外部リンク http://www.arrowcargo.com/
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アロー航空(-こうくう)は、かつてアメリカ合衆国フロリダ州マイアミマイアミ国際空港を本拠地としていた貨物航空会社チャーター便運航会社である。アメリカ国内・カナダ及び中南米路線を運航していたが、2010年7月1日に2度目となる連邦倒産法第11章の適用を申請、倒産した。

歴史[編集]

1947年、貨物専用航空会社として設立された。以降長く貨物専用航空会社として運航していたが、時にはアメリカ軍兵士の輸送も担当した。そのため、日本の横田基地へも飛来経験がある。

ロッキードL-1011-200F
ダグラスDC-8-73CF
マクドネル・ダグラスDC-10-10

また、1970年代から1986年にかけて定期旅客便も運航していた。機材にはロッキード L-1011 トライスターマクドネル・ダグラス DC-10ダグラス DC-8などを使用し、ニューヨークジョン・F・ケネディ国際空港およびプエルトリコルイス・ムニョス・マリン国際空港を拠点として運航していたが1986年には運航を停止し、以降は貨物便専門の会社に戻った。

ボーイング707-324C

同時期にはミッドパシフィックエアに乗務員込みでボーイング707型機をリースし、「ミッドパシフィック・アロー」のブランド名で、ホノルル国際空港パゴパゴ国際空港や、アメリカ合衆国本土西海岸のバーバンク空港やジョン・ウェイン空港等との間でも広範囲に定期便サービスを展開していた。

ファイン航空のダグラスDC-8-62F
ファイン航空のロッキードL-1011

1999年に、同じ貨物航空会社のファイン・エアにより子会社とされるが、2000年にはそのファイン・エアが倒産してしまう。アロー航空、ファイン・エアともに運航を継続していたものの、アロー航空も2004年に倒産してしまった。その後連邦倒産法第11章を適用し、経営再建に取り組んでいたものの状況は好転せず、2010年6月29日にすべての便の運航を中止し、同年7月1日には2度目となる連邦倒産法第11章の適用を受け、倒産し、会社は清算された。

保有機材[編集]

2008年2月現在の保有機材は以下の通り。

ボーイング757
マクドネル・ダグラスDC-10F
マクドネル・ダグラスDC-10-30F
ダグラスDC-8-63F

事故[編集]

アロー航空は過去に3件の事故を起こしている。うち人身事故は1件だが、その1件が非常に大規模なものであった。

アロー航空1285便墜落事故の同型機
  • 1985年12月12日、米軍の人員輸送のためにチャーターされたDC-8型機がニューファンドランド・ラブラドール州で墜落、乗客248人と乗員8人の合わせて256人全員が死亡した。この便はクリスマス休暇のためにチャーターされた便であった。この事故が旅客事業からの撤退につながった。
  • 2002年12月13日、横田基地からシンガポールチャンギ空港へ向かっていたDC-8型機が、機長操縦士のコミュニケーション不足によりチャンギ空港の滑走路を300mオーバーランした。
  • 2006年6月4日、マイアミからニカラグアマナグアへ向かっていたDC-10型機がマナグア空港で300mオーバーラン、ノーズギアが破損した。

目的地[編集]

ロンドン・ガトウィック空港で撮影されたDC-10

2005年現在の就航地は以下の通りである。

  • 国際線

イキトス(IQT)、ボゴタ(BOG)、リマ(LIM)、パナマシティ(PTY)、サンホセ(SJO)、サンフアン(SJU)、サントドミンゴ(SDQ)、サンティアゴ・デ・ロス・カバリェロスSantiago de los Caballeros)(STI)、ポルトープランス


アロー航空DBAの就航地は以下の通りである。

外部リンク[編集]