アレハンドロ・ホドロフスキー
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アレハンドロ・ホドロフスキー(Alexandro Jodorowsky,国によってはAlejandro Jodorowsky 1929年2月7日 - )はチリ出身の映画監督。
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[編集] 映画監督以前
チリのボリビア国境近くの小さな町でロシア系ユダヤ人の子として生まれる。
12歳の時にサンティアゴへ移住。サンティアゴ大学で心理学・哲学を学んでいたがマルセル・カルネの『天井桟敷の人々』に感動し、パントマイムにのめり込んだ後大学を中退。
パリで単身放浪生活を送る中、マルセル・マルソーと知り合い、共にメキシコシティーへ渡り100以上の芝居を演出する。
[編集] 映画監督以降
1960年代中頃に、パリで作家フェルナンド・アラバールを知り、1967年に彼の原作で処女作『ファンド・アンド・リス』 (FANDO Y LIS) を完成。続く1970年に代表作『エル・トポ』(EL TOPO。モグラの意)を発表する。
ハリウッド内のアメリカン・ニュー・シネマとほぼ同時期に出現したこのフィルムは「もしフェリーニが西部劇を、クロサワがキリスト映画を撮ったらこうなったであろう」との絶賛を浴び、のちにカルト映画の開祖にして金字塔との評価を不動のものとする。初興行の際、コロムビア、ユナイトといったメジャー系の配給会社を断られ、音楽プロデューサーのアラン・ダグラスによりエル・ジンというスペイン語圏の映画を扱うミニシアター系の深夜上映が決定、1971年1月1日に封切られた。このとき会場を訪れた観客にはミック・ジャガー、アンディ・ウォーホル、オノ・ヨーコなどがおり、特に四回足を運んだというジョン・レノンは本作と次回作の興行権を45万ドルで買い取っている。
続き、最高傑作と言われる次作『ホーリー・マウンテン』 (THE HOLY MOUNTAIN) を1973年に発表。1973年11月から1975年4月まで続くロングランを達成する。エル・トポ、ホーリー・マウンテンと、初めて商業映画を意識したという1989年の『サンタ・サングレ』(SANTA SANGRE、聖なる血)の三作が、現在までのところ監督自身の認める真の「自分の子供たち」である。
[編集] 発表されなかった作品
ホーリー・マウンテンの制作後、1975年にSF大作『デューン/砂の惑星』(DUNE、同名の映画がデヴィッド・リンチにより1984年に公開されているがこれとは別物)の製作を開始し、各界から一流のメンバーを集めた。メカ・デザインはSF画家のクリス・フォス。バンド・デシネのカリスマ作家のメビウスが、クリーチャーとキャラクターのデザインを担当。特撮担当はダン・オバノン。さらにH・R・ギーガーが悪役・ハルコンネン男爵の城をデザインした。ハルコンネン役にはサルバドール・ダリがキャスティングされた。音楽はピンク・フロイドが担当することになっていた。だが、一年間の作業の後、配給元がきまらず、企画は中止された[1]
なお、ダン・オバノンは、ここで集めたスタッフを最集結させ、リドリー・スコット監督による『エイリアン』を製作した。
他にエロス大作『O嬢の物語』やジョン・レノン、オノヨーコ主演の『指輪物語』などが企画されたがいずれも発表には至らなかった。
エル・トポの続編、『エル・トポの息子』は長い間制作が噂され、本人も発表を望んでいるらしいが、今のところその気配はない。
[編集] その他
ホドロフスキーが日本で知られるようになったのは映画祭で発表されたエル・トポを寺山修司が絶賛した為である。
禅を学び、日本映画や日本アニメにも多大な影響を受けているホドロフスキーは日本への造詣が深く、特に漫画家大友克洋とは個人的な親交がある。あるインタビューによれば漫画『AKIRA』のラストシーンについて、ホドロフスキーが飲み屋にてアイデアを示唆したとされるが、他方で別のインタビューではそのことを尋ねられた大友氏が、「ラストは初めから決まっていた。」と答えたともされる。
また、フランスのバンド・デシネ作家メビウスに、『謎の生命体アンカル』シリーズの原作を提供している。
タロットカードのコレクターとしても知られ、古いタロットの膨大なコレクションを所有している。40年以上に渡ってマルセイユ版タロットの研究を行っており、1998年にはフィリップ・カモワン氏と共にオリジナルのタロットカードの製作にも携わった。
2006年には、三池崇史監督『46億年の恋』に対して、コメントを寄稿している。
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
[編集] 外部リンク
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