アレクサンドル・ミハイロヴィチ (ロシア大公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
アレクサンドル大公

アレクサンドル・ミハイロヴィチロシア語: Александр Михайлович1866年4月13日 - 1933年2月26日)は、ロシア大公ロシア皇帝ニコライ1世の末子ミハイル大公の四男、母はバーデン大公レオポルト1世の娘オリガ

軍人。海軍大将。侍従武官長。

経歴[編集]

  • 1885年 - 海軍親衛乗組員として軍歴を始める。
  • 1898年~ - 貿易航海問題会議議員、後に議長
  • 1900年~1903年 - 黒海艦隊の戦艦「ロスチスラフ」艦長
  • 1902年~1905年 - 大公の発議により、貿易航海・港湾総局が創設され、その総局長となる。
  • 1903年 - 黒海艦隊下級艦隊司令。
  • 1904年 - 義捐金による艦隊強化特別委員会委員長。
  • 1905年2月 - バルト艦隊水雷巡洋艦支隊長。1909年までバルト艦隊下級艦隊司令
  • 1906年 - 海軍参謀本部創設を支持した。
  • 1910年 - セヴァストポリ郊外に航空隊士官学校の創設を発議した。

ロシア航空隊の創設者の1人で、第一次世界大戦時、艦隊航空司令官、1916年からは空軍総監を務める。1917年3月に退役。

ロシア革命が勃発するとクリミアに逃れ、妻子および姑の皇太后マリヤたちと共に、イギリスが差し向けた戦艦マールバラに乗りこんで亡命に成功した。

子女[編集]

1894年、従兄である皇帝アレクサンドル3世の長女クセニヤ大公女と結婚し、7人の子女をもうけた。

パーソナル[編集]

ニコライ海軍アカデミー名誉会員(1903年)。帝国ロシア航行協会、ロシア技術協会、ペテルブルク大学附属自然科学者協会の議長。