アレクサンドル・ドイチュ

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発見した小惑星: 1
ララフ 1929年7月5日

アレクサンドル・ドイチュロシア語: Александр Николаевич Дейч, ラテン文字転写: Alexander Nikolaevich Deutsch1900年12月31日または1901年1月1日-1986年11月22日[1])は、プルコヴォ天文台で働いたソビエト連邦天文学者である。

ドイチュは、ウクライナ南部のレニで1900年12月31日夜から1901年1月1日にかけて、ドイツ系の父とギリシア・ローマ系の母の間に生まれた[2]。子供の頃、一家はリャザンに、その後サラトフに転居した。彼は、サンクトペテルブルク大学を卒業した。第二次世界大戦前には、プルコヴォ天文台の副台長となり、レニングラードが閉鎖されている間は、台長を務めた。その後、彼はプルコヴォ天文台の天文学部門長となり、天文学校を設立した。ドイチュは、1935年から1985年までA. N. Deutschという名義で研究活動を行った(1926年からA. Deutschという名義での出版物が出始めているが、同一人である可能性がある)。彼は生涯に1つの小惑星ララフを発見した(小惑星センターには、A. Deutschと登録されている)。彼の主要な業績は、恒星の固有運動、銀河、恒星、褐色矮星等の写真撮影、軍艦の座標の天文計算等である。いくつかの論文には、Deichと署名されている。ドイチュは、国際天文学連合の天文測定学委員長も務めた。リュドミーラ・チェルヌイフが発見した小惑星レニは、彼の名誉を称えて名づけられた。

論文[編集]

出典[編集]

  1. ^ The Total Eclipse 1999”. SAO/NASA Astrophysics Data System. 2009年5月26日閲覧。
  2. ^ The Dovatur Family

外部リンク[編集]