アレクサンドル・アントーノフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
アレクサンドル・アントーノフ

アレクサンドル・ステパーノヴィチ・アントーノフロシア語:Алекса́ндр Степа́нович Анто́нов、ラテン文字転写:Alexander Stepanovich Antonov1888年 - 1922年6月24日)は、ロシアの政治活動家。エスエル党員。ロシア内戦中の1920年タンボフ州で最大規模の反ボリシェヴィキ反乱を指導した。モスクワ出身。

アントーノフは1906年にエスエルに入党し、1908年から1917年まで政治活動によりシベリアへ追放されていた。1917年のロシア革命で自由の身となった彼は、タンボフ州で「アントーノフの反乱」あるいは「タンボフの反乱」と呼ばれる反乱を起こした。このとき蜂起した農民は数万人に上り、一時はタンボフ州全域を席巻した。ウラジーミル・レーニンは赤軍5万人を派遣し、裁判無しでの農民の射殺や毒ガスの使用などの残虐な方法により、ようやく鎮圧に成功した。

アントーノフは、1922年に逃亡先のタンボフ県ボリソグレープスキー郡ニージニーシブリャイ村チェーカーによって兄弟のドミートリと共に銃撃戦の末に殺害された。