アル=ムアタシム=ビッラーフ・アル=カッザーフィー

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アル=ムアタシム=ビッラーフ

アル=ムアタシム=ビッラーフ・アル=カッザーフィーアラビア語:مُعْتَصِمٌ بِٱللهِ ٱلْقَذَّافِيّ‎、英語:Mutassim Kadhafi1977年11月23日 - 2011年10月20日)は、リビア軍人医師政治家。カダフィ大佐(ムアンマル・アル=カッザーフィー)の五男[1][2][3]

経歴[編集]

1977年、トリポリ生まれ。エジプトで訓練を受け、職業軍人として少佐の肩書きを持っていた。また医師であり、事実上の政治家(国家安全保障担当補佐官)でもあった。2009年には、訪米しクリントン国務長官と会談したことから、カダフィ大佐の後継者としてクローズアップされた[1][4]。トリポリ市内には50もの地下室を持つ、巨大な施設に居住していたことが、後日、確認されている[5]

2011年リビア内戦[編集]

2011年リビア内戦では、トリポリ市内から脱出し、シルト市内に潜伏していたが、同年10月12日、リビア国民評議会側に拘束[6]ベンガジに移送されたとの報道もあった[7]が、同月20日、シルト市内で拘束された父親とともに兵士から罵倒される映像が記録されたのを最後に消息を絶ち、死亡が確認された[8]。詳細は不明。遺体は10月22日から24日までシルト市内の市場の冷蔵室で父親の遺体とともに一般市民に公開された後、25日に極秘裏に埋葬された[9]

脚注[編集]

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  1. ^ a b The Gaddafi family – its key members”. ガーディアン (2011年8月30日). 2011年10月29日閲覧。
  2. ^ Libya: the battle for control of Sirte”. デイリー・テレグラフ (2011年8月25日). 2011年10月29日閲覧。
  3. ^ 日本の報道では誤ってカダフィ大佐の四男と報道された。
  4. ^ カダフィ大佐の息子と会談。クリントン米国務長官(47NEWS,2009年4月22日)2011年10月30日閲覧
  5. ^ ジェームズ・ボンド並、カダフィ大佐息子の巨大地下壕(AFP.BB.NEWS.2011年9月7日)2011年10月30日閲覧
  6. ^ 大佐四男拘束と国民評議会/リビア中部の支持派拠点で(四国新聞社ニュース2011年10月13日)2011年10月30日閲覧
  7. ^ シルトでカダフィ大佐四男を拘束か(産経ニュース2011年10月13日)2011年10月30日閲覧
  8. ^ 時事ドットコム:カダフィ大佐四男も処刑か=拘束後の生存映像-シリアTV(時事通信社2011年10月24日)2011年10月30日閲覧
  9. ^ カダフィ大佐と四男、極秘の場所に埋葬 次男は近くニジェール入りか(AFP.BB.NEWS.2011年10月26日)2011年10月30日閲覧

関連項目[編集]