アル=ムアタシム=ビッラーフ・アル=カッザーフィー

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リビアの旗 リビアの政治家
アル=ムアタシム=ビッラーフ・アル=カッザーフィー
مُعْتَصِمٌ بِٱللهِ ٱلْقَذَّافِيّ‎
Moatassem Kadhafi.jpg
生年月日 1974年12月18日
出生地 リビアの旗 リビア トリポリ
没年月日 2011年10月20日(満36歳没)
死没地 リビアの旗 リビア スルト
親族 ムアンマル・アル=カッザーフィー(父)

在任期間 2007年 - 2011年
元首 ムアンマル・アル=カッザーフィー
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アル=ムアタシム=ビッラーフ・アル=カッザーフィーアラビア語:مُعْتَصِمٌ بِٱللهِ ٱلْقَذَّافِيّ‎、英語:Mutassim Kadhafi1974年12月18日[1] - 2011年10月20日)は、リビア軍人医師政治家ムアンマル・アル=カッザーフィー(カダフィ)の五男[2][3][4]。父の下で国家安全保障会議顧問・警護隊司令官としてリビアの外交・軍事政策を担当し、兄セイフ・アル=イスラム・ムアンマル・アル=カッザーフィー英語版と共にカダフィの有力な後継候補と見られていた[5]

来歴[編集]

1997年トリポリのアル=ファティ大学を卒業し医学博士号を取得する[6][7]が、卒業後にクーデターを計画していたことが発覚しエジプトに脱出した。

脱出後はエジプトの陸軍士官学校で軍事訓練を受け、1998年中尉に任官し、2005年中佐に昇進した[8][6]2006年に父と和解しリビアに帰国[9]、同年中に東洋アフリカ研究学院で4週間程言語学を学んだことが確認されている[10]

2007年国家安全保障会議顧問に任命され、リビアの外交・軍事政策を任されることになった[8][7]2008年には国家安全保障会議独自の部隊を組織するため、国営石油会社NOC総裁に12億ドルを拠出するように命令している[11]

2009年4月には訪米し、ヒラリー・クリントン国務長官と会談した[2][12]。また、上院議員のジョン・マケインジョー・リーバーマンとも会談し、リビアへの軍事支援を求めている[13]

リビア内戦[編集]

2011年リビア内戦では部隊を指揮しブレガ反カダフィ勢力と戦うが、ブレガの奪還に失敗している。トリポリ陥落後はスルトに撤退し防衛の指揮を執る(スルトの戦い英語版)が、10月12日にリビア国民評議会の部隊に拘束された[14]ベンガジに移送されたとの報道もあった[15]が、10月20日、スルト市内で拘束された父と共に兵士から罵倒される映像が記録されたのを最後に消息を絶ち、死亡が確認された[16]アル=アラビーヤが首に銃弾を受けたムアタシムの遺体写真を公開しており、射殺されたと見られている[17][18]

遺体は10月22日から24日までシルトにある市場の冷蔵室で父の遺体と共に市民に公開された後、25日に極秘裏に埋葬された[19]

私生活[編集]

トリポリ市内の50もの地下室を持つ巨大な施設に居住していた[20]

国家安全保障会議顧問に任命された頃から、カリブ海の豪邸にビヨンセマライア・キャリージョン・ボン・ジョヴィリンジー・ローハンジェイ・Z50セントネリー・ファータドアッシャーらを呼びプライベート・パーティーを頻繁に開いていた[21]。招待されたアーティストの内、ビヨンセは受け取った報酬100万ドルを2010年のハイチ地震のために全額寄付し、リビア内戦勃発後にはファータドも報酬の全額寄付を表明した[22]。また、ビヨンセは「プロモーターを介した依頼で、誰のためのパフォーマンスか知らなかった」とコメントし、新曲の売り上げを人権問題のために使用すると表明した[23]

2011年10月、イタリア人ファッションモデルのヴァネッサ・ヘスラー英語版が、ムアタシムと4年間交際していたことを公表した[24]。これに対し、ドイツの通信会社テレフォニカドイツは、ムアタシムとの過去の交際を理由にヘスラーとの契約を破棄している[25]

脚注[編集]

  1. ^ “Mutassim's ID Card”. Arabic Forum. (2012年3月20日). http://www.str-ly.com/vb/t16303/ 2015年3月10日閲覧。 
  2. ^ a b The Gaddafi family – its key members”. ガーディアン (2011年8月30日). 2011年10月29日閲覧。
  3. ^ Libya: the battle for control of Sirte”. デイリー・テレグラフ (2011年8月25日). 2011年10月29日閲覧。
  4. ^ 日本の報道では誤ってカダフィ大佐の四男と報道された。
  5. ^ Süddeutsche Zeitung am 12. Oktober 2011: Verwirrung um Festnahme von Gaddafi-Sohn Mutassim. Abgerufen am 2011-11-01.
  6. ^ a b „(geb. 1975)“ Saif Al Islam. In: ORIENT. Jg. 46, Nr. 1, 2005, S. 6 (online, abgerufen am 2011-11-20).
  7. ^ a b Welt online am 13. Oktober 2011: Libyer haben sich zu früh über Festnahme gefreut. Abgerufen am 2011-11-03.
  8. ^ a b „Der vermutlich 1975 geborene Sohn (…) soll am selben Tag wie sein Vater von Truppen des Nationalrats in Syrte getötet worden sein.“ Tagesschau am 21. Oktober 2011: Eine Familie und das Ende ihrer Macht. Abgerufen am 2011-11-01.
  9. ^ The Telegraph am 31. Januar 2011 unter Bezugnahme auf die von WikiLeaks veröffentlichte Botschaftsdepesche 09TRIPOLI310. Abgerufen am 2011-11-07.
  10. ^ The Telegraph am 8. März 2011: Two further universities linked to Libya. Abgerufen am 2011-11-03. (en)
  11. ^ “MUATASSIM'S WASHINGTON DEBUT: BURNISHING HIS IMAGE AND TESTING U.S. WATERS TRIPOLI 00000310 001.2 OF 004”. The Telegraph (London). (2011年1月31日). http://www.telegraph.co.uk/news/wikileaks-files/libya-wikileaks/8294545/MUATASSIMS-WASHINGTON-DEBUT-BURNISHING-HIS-IMAGE-AND-TESTING-U.S.-WATERS-TRIPOLI-00000310-001.2-OF-004.html 
  12. ^ カダフィ大佐の息子と会談。クリントン米国務長官”. 47NEWS (2009年4月22日). 2011年10月30日閲覧。
  13. ^ “CODEL MCCAIN MEETS MUAMMAR AND MUATASSIM AL-QADHAFI”. The Telegraph (London). (2011年1月31日). http://www.telegraph.co.uk/news/wikileaks-files/libya-wikileaks/8294621/CODEL-MCCAIN-MEETS-MUAMMAR-AND-MUATASSIM-AL-QADHAFI.html 
  14. ^ 大佐四男拘束と国民評議会/リビア中部の支持派拠点で”. 四国新聞社ニュース (2011年10月13日). 2011年10月30日閲覧。
  15. ^ シルトでカダフィ大佐四男を拘束か”. 産経新聞 (2011年10月13日). 2011年10月30日閲覧。
  16. ^ カダフィ大佐四男も処刑か=拘束後の生存映像-シリアTV”. 時事通信 (2011年10月24日). 2011年10月30日閲覧。
  17. ^ “End of an era for Libya: Qaddafi is killed in Sirte”. Al Arabiya News. (2011年10月20日). http://english.alarabiya.net/articles/2011/10/20/172787.html 2011年10月21日閲覧。 
  18. ^ New video moments after the capture of Mutassim Gaddafi (Sirte,Libya)”. LiveLeak (2011年10月20日). 2012年12月19日閲覧。
  19. ^ カダフィ大佐と四男、極秘の場所に埋葬 次男は近くニジェール入りか”. AFP (2011年10月26日). 2011年10月30日閲覧。
  20. ^ ジェームズ・ボンド並、カダフィ大佐息子の巨大地下壕”. AFP (2011年9月7日). 2011年10月30日閲覧。
  21. ^ The Daily Mail am 22. Oktober 2011: A last cigarette and a swig of water, Gaddafi's son Mutassim pictured before he too died of new wounds acquired in captivity. Abgerufen am 2011-11-01. (en)
  22. ^ ビヨンセ、カダフィ家からのギャラ100万ドルをハイチに寄付”. RO69 (2011年3月3日). 2015年3月12日閲覧。
  23. ^ ビヨンセとマライア・キャリー、カダフィ一族との距離アピール”. ロイター (2011年3月4日). 2015年3月12日閲覧。
  24. ^ Süddeutsche Zeitung online am 30. Oktober 2011: Karrierekiller Diktatorensohn?. Abgerufen am 2011-10-31.
  25. ^ 超美人モデル、カダフィ御曹司との交際で契約アウト”. YUCASEE MEDIA (2011年11月3日). 2015年3月12日閲覧。