アルマンド・ディアズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
アルマンド・ディアズ
Armando Diaz
Armando Diaz.jpg
生誕 1861年12月5日
ナポリ
死没 1928年2月29日(満66歳没)
ローマ
所属組織 イタリア陸軍
最終階級 陸軍元帥
テンプレートを表示

アルマンド・ディアズArmando Diaz1861年12月5日 - 1928年2月29日)は、イタリア軍人政治家

経歴[編集]

軍指揮官時代[編集]

イタリア南部ナポリ出身。トリノの王立陸軍士官学校を卒業し、砲兵士官としてキャリアをスタートさせる。伊土戦争などに参加した後、第一次世界大戦では総指揮官のルイージ・カドルナ大将より軍司令官に任命され、イゾンツォ戦線に従軍している。

総司令官就任[編集]

イタリア陸軍アルプスの山々に陣取るオーストリア軍を相手に、地道に戦線を押し広げていた。しかしカポレットの戦いで主戦力の殆どを前線に配置し、予備戦力を用意しなかったカドルナの失策により、イタリア陸軍はドイツ軍の新戦術(浸透戦術)に致命的な打撃を蒙る。この失態に加え、オーストリアとの単独講和を主張し始めたカドルナは、辞任したパオロ・ボセッリに代わり首相に就任したヴィットーリオ・エマヌエーレ・オルランドによって罷免される。オルランドはロンドン条約を活用してフランスやイギリスから物資や兵員の援助を取り付けつつ、新たにディアズを総指揮官に抜擢した。

ディアズは陸軍の再編成を進める傍ら、カポレットの経験から軍部隊の指揮体系に改良を加え、不意の事態にも柔軟に対処できる防衛体制を構築した。この改革はモンテ・グラッパピアーヴェ川の戦いで単独で攻勢に出たオーストリア軍を破り、戦線崩壊を防いだ事で証明される。1918年ヴィットリオ・ヴェネトの戦いでオーストリア軍を圧倒し、対墺戦争とも言うべき諸戦闘に決着を付けた。

戦後[編集]

1921年11月1日、カンザスシティーで行われた第一次世界大戦の記念式典に、ディアズはフェルディナン・フォッシュジョン・パーシングらと共に列席した。後にこれを記念してアメリカ政府が製作した戦勝記念レリーフには三将軍の姿が彫られている。本国でも英雄視を受け、上院議員に選出されたディアズは国王から爵位を得るなど、国内外で高い名声を得た。

ベニート・ムッソリーニファシスト政権では一時期陸軍大臣を務め、1924年に退役した時に元帥の称号を与えられた。1928年にローマで亡くなり、ローマのサンタ・マリア・デッリ・アンジェリ・エ・デイ・マルティーリ聖堂に葬られた。

関連項目[編集]