アルベルト・アッツォ2世・デステ
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アルベルト・アッツォ2世・デステ(Alberto Azzo II d'Este、または略してアルベルタッツォ2世(Albertazzo II)とも。996年 - 1097年)は、 イタリアの貴族。パドヴァ地方にある町エステのシニョーレとなったことにより、エステ家の始祖となった。
エステに城を立て、その後町は村と言うには少し大きいぐらいに成長した。ルーニ、トルトーナ、ジェノヴァ、ミラノの伯爵であったアルベルト・アッツォ1世の息子で、オベルトの血を引いている。アルベルト・アッツォ2世はルニジャーナ伯、ミラノ伯で、エステとロヴィーゴのシニョーレであった。教皇国家と神聖ローマ帝国との争いの中で、皇帝と教皇およびマティルデ・ディ・カノッサとの同盟関係を巧みに入れ変えながらうまくいく方法を模索した。彼の領地は全て北イタリアにあり、家系の出身地であるルニジャーナとモデナ地域を含んだ彼のシニョリーアとなっている。シュヴァーベンのヴェルフ2世の娘クニッツァ・ディ・ズヴェーヴィア(クニグンデ)と結婚し、続いてガルセンダ(アーマンガード)と結婚した。
家族 [編集]
- ガルセンダ(アーマンガード)
- シュヴァーベンのヴェルフ2世の娘クニッツァ・ディ・ズヴェーヴィア(クニグンデ)
- グエルフォ4世・デステ(ヴェルフ4世)(1035年/1040年 - 1101年) - ドイツ南東部に移りバイエルン公となり、子孫は後にハノーファーを拠点にしたヨーロッパ史上最も重要な家系の1つであるハノーヴァー朝(1714年にジョージ1世がイギリスの王位につく)を開いた(ヴェルフェン=エステ家、ブラウンシュヴァイク=リューネブルク家)。
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