アルブレヒト・フォン・ヴュルテンベルク

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ヴュルテンベルク公アルブレヒト

アルブレヒト・マリア・アレクサンダー・フィリップ・ヨーゼフ・フォン・ヴュルテンベルク:Albrecht Maria Alexander Philipp Joseph von Württemberg, 1865年12月23日 - 1939年10月31日)は、ヴュルテンベルク王国の王族で、ドイツ帝国元帥。1921年、ヴュルテンベルク王家の家督を引き継いだ。

アルブレヒトはヴュルテンベルク公フィリップとその妻のオーストリア大公女マリー・テレーゼのあいだの長男として、ウィーンで生まれた。父はヴュルテンベルクフリードリヒ1世の弟アレクサンダーの孫息子であり、母はハプスブルク=テッシェン家の当主アルブレヒト大公の娘である。

第一次世界大戦が始まると、アルブレヒトはドイツ第4軍の司令官に就任し、1914年8月のアルデンヌの戦いでドイツ軍を勝利に導いた。この勝利の後、第4軍はマルヌ会戦に参戦し、1914年10月にはフランドルの戦線に送り込まれ、この地でアルブレヒトはイーゼルの戦いで戦闘を指揮した。またアルブレヒトは初めて毒ガスが大規模な作戦として使われた第2次イーゼルの戦いでも指揮官を務めた。アルブレヒトは1915年8月にプール・ル・メリット勲章を受章し、1916年8月には元帥に任命された。アルブレヒトは1918年11月に休戦協定が結ばれるまで西部戦線における南部地域の最高責任者だった。

アルブレヒトは子供のないヴュルテンベルク王ヴィルヘルム2世推定相続人であったが、第一次世界大戦におけるドイツ帝国の敗退とそれに続くドイツ革命によってヴィルヘルム2世王が退位を余儀なくされたため、王位を継ぐことは出来なかった。1921年にヴィルヘルム2世王が死ぬと、アルブレヒトがヴュルテンベルク家家長となった。

1939年にアルツハウゼン城で亡くなり、長男のフィリップ・アルブレヒトが後を継いだ。

子女[編集]

1893年、アルブレヒトはオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の弟カール・ルートヴィヒ大公の娘マルガレーテ・ゾフィーと結婚した。マルガレーテ・ゾフィーはオーストリア帝位継承者フランツ・フェルディナント大公の妹、最後のオーストリア皇帝カール1世の叔母である。夫妻は7人の子女をもうけたが、マルガレーテは1902年に亡くなった。

  • フィリップ・アルブレヒト(1893年 - 1975年) - ヴュルテンベルク王家家長
  • アルブレヒト・オイゲン(1895年 - 1954年) - ブルガリア王女ナデジダと結婚
  • カール・アレクサンダー(1896年 - 1964年) - 修道士
  • マリア・アマーリア(1897年 - 1923年) - ザクセン王太子ゲオルクと婚約
  • マリア・テレーザ(1898年 - 1928年)
  • マリア・エリーザベト(1899年 - 1900年)
  • マルガリータ・マリア(1902年 - 1945年)
先代:
ヴィルヘルム2世
〈名目上〉ヴュルテンベルク王
ヴュルテンベルク家家長

1921年 - 1939年
次代:
フィリップ・アルブレヒト