アルフレート・フォン・ザクセン=コーブルク・ウント・ゴータ

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ザクセン=コーブルク=ゴータ公世子アルフレッド、1893年
アルフレッドと母および4人の妹たち

アルフレッド・オブ・エディンバラPrince Alfred of Edinburgh)、1893年よりアルフレート・フォン・ザクセン=コーブルク・ウント・ゴータAlfred Prinz von Sachsen-Coburg und Gotha, 1874年10月15日 バッキンガム宮殿 - 1899年2月6日 メラーノ)は、イギリスの王族。ドイツザクセン=コーブルク=ゴータ公国公世子であり、またエディンバラ公爵位の相続予定者だった[1]。全名はアルフレッド・アレグザンダー・ウィリアム・アーネスト・アルバートAlfred Alexander William Ernest Albert)。

生涯[編集]

エディンバラ公アルフレッドとその妻のエディンバラ公爵夫人マリヤ・アレクサンドロヴナの間の第1子、長男として生まれた。父はヴィクトリア女王の次男、母はロシア皇帝アレクサンドル2世の次女であった。1874年11月27日にバッキンガム宮殿の一室で、カンタベリー大主教アーチボルト・テートにより洗礼を受けた。洗礼の代父母にはヴィクトリア女王(祖母)、アレクサンドル2世(祖父)、ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世(曾祖叔父)、ドイツ皇太子妃ヴィクトリア(伯母)、ザクセン=コーブルク=ゴータ公エルンスト2世(大伯父)、ウェールズ公エドワード(伯父)が名を連ねた[2]

少年時代はクラレンス・ハウスで暮らし、1893年に父がザクセン=コーブルク公爵家の家督を継ぐと、家族とともにコーブルクローゼナウ城に移った。アルフレッドは才能豊かだが非常に繊細な少年だった。父がザクセン=コーブルク公爵家の家督を継ぐことが決まっていたこともあり、アルフレッドは家庭教師のロルフス博士(Dr. Rolfs)から厳格なドイツ式教育を受けた。博士は王子の自尊心を傷つけるのを好んだ。アルフレッドは妹たちとは引き離されて育てられ、大英帝国の海軍軍人として常に不在がちな父親とも疎遠だった。母は傲慢で冷たい性格の女性で、家庭教師による息子の教育方針を支持した。アルフレッドの少年時代は家庭的な温か味とは無縁のものだった。

ドイツに移った後、ポツダム駐屯のプロイセン軍第1近衛歩兵連隊(1. Garde-Regiment zu Fuß)所属の少尉に任官したが、軍務への熱意は示さなかった。公世子となって間もなく、アルフレッドは母方の又従妹にあたるヴュルテンベルク公女エルザ(母の従妹ヴェラ・コンスタンチノヴナ大公女の娘)と婚約し、1895年1月28日付の英国王室行事日報にも2人の婚約記事が掲載された。しかし婚約は後に破棄された。

アルフレッドはポツダムでの不品行のために梅毒に罹り、1899年1月22日に行われた両親の銀婚式の記念式典に出席できないほど症状が進行し、麻痺性痴呆が始まっていた。この式典の最中に1人になったアルフレッドは拳銃で自殺を図り、重傷を負ってゴータのフリーデンシュタイン城に運び込まれた。1月25日に療養のためにメラーノのマルティンブルン療養所に移送されたものの、2月6日に24歳の若さで死去した[1]。公世子の身分は、従弟のオールバニ公チャールズ・エドワードに移った。

当時、死因については新聞などには腫瘍のためと発表され[3]、遺族の回想録などの証言でも病因による衰弱と示唆されるに留まっていた[3]。他方、拳銃自殺の理由として、アイルランド貴族の第4代レンスター公爵の孫娘メイベル・フィッツジェラルド(Mabel Fitzgerald)と1898年に秘密結婚したことで、母親を始め家族に猛反対されたためだとする説も存在する[4][5]。この説にはそれを裏付ける資料も客観的な信憑性も無いが、伝記作家の一部がこの説を支持しており、また現在のコーブルク公爵家の公式見解もこの説を支持している[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b c Sandner, Harold (2004). “II.4.2 Erbprinz Alfred” (German). Das Haus von Sachsen-Coburg und Gotha 1826 bis 2001. Andreas, Prinz von Sachsen-Coburg und Gotha (preface). 96450 Coburg: Neue Presse GmbH. pp. 155–156. ISBN 3-00-008525-4. 
  2. ^ Yvonne's Royalty Home Page — Royal Christenings
  3. ^ a b Eilers, Marlene (1997). Queen Victoria's Descendants. Falköping, Sweden: Rosvall Royal Books. p. 62. ISBN 91-630-5964-9. 
  4. ^ Eilers, Marlene (1997). Queen Victoria's Descendants. Falköping, Sweden: Rosvall Royal Books. p. 176, footnote 2. ISBN 91-630-5964-9. 
  5. ^ 1940年代に出現したこの説は信憑性が極めて低い。アルフレッドとメイベルが面識があった証拠はどこにもなく、メイベルは1898年にはまだ14歳の少女だった。さらに彼女が1910年にWilliam Clarke Hadokeと結婚した際、新婦は初婚だと記録に残されている。

外部リンク[編集]

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