アルフレッド・ブリュノー

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アルフレッド・ブリュノー
Alfred Bruneau
1895年頃、ナント(C. Peigné撮影)
1895年頃、ナント(C. Peigné撮影)
基本情報
出生 1875年3月3日
フランスの旗 フランスパリ
死没 1934年6月15日(満59歳没)
フランスの旗 フランスパリ
ジャンル オペラ
職業 作曲家、音楽評論家

アルフレッド・ブリュノーAlfred Bruneau, 1857年3月3日 パリ - 1934年6月15日 パリ)は、19世紀フランスオペラ作曲家写実主義自然主義の影響を受けた舞台作品を数多く手がけた。音楽評論家として『ジル・ブラス』紙や『フィガロ』紙に寄稿したことでも名を残している。1895年レジオン・ドヌール勲章を受章した。


本名はルイ=シャルル=ボナヴァンチュール=アルフレド・ブリュノーLouis-Charles-Bonaventure-Alfred Bruneau)と長い。少年時代からパリ音楽院チェロを学び、チェリストとしてパドゥルー管弦楽団に加入した。まもなく作曲も手懸けるようになり、早くも1881年カンタータ《パリのジュヌヴィエーヴ Geneviève de Paris》を作曲。1884年に《英雄的序曲 Ouverture heroique》(1883年)が初演され、その後に合唱交響曲《レダ Léda 》(1884年作曲)と交響詩《眠れる森の美女 La Belle au bois dormant 》(1886年)が上演された。1887年に最初の歌劇《ケリム Kérim》を作曲。

その後エミール・ゾラと出逢い、20年間にわたる共同制作に漕ぎ着ける。1891年の歌劇《夢 Le rêve 》は、ゾラの同名の作品に基づいており、その後もゾラは、《風車への突撃 L'Attaque du moulin》(1893年)を含むブリュノー作品に、多くの題材を提供し続けた。《メシドール Messidor 》(1897年)と《暴風 L'Ouragan 》(1901年)では、ゾラが手ずから台本を執筆した。ゾラに影響されたその他の作品に、《ラザロ Lazare 》(1899年作曲、作曲者没後の1954年に初演)、《幼い王様 L'enfant roi 》(1905年)、《ミクラン誕生Naïs Micoulin》(1907年)、《四日間 Les quatres journées 》(1916年)がある。

なお、1923年の《パリの花園Le jardin du Paris》はハンス・クリスチャン・アンデルセンが、1928年の《パドヴァの僭主アンジェロAngelo, tyran de Padoue》はヴィクトル・ユゴーが原作である。

その他の作品に、《レクイエム》(1896年)と、歌曲集《フランスの歌Lieds de France》と《舞踊歌Chansons a danser》が挙げられる。ブリュノーは管弦楽法においてリヒャルト・ワーグナーの影響を受けている。また、同世代のオペラ作曲家ギュスターヴ・シャルパンティエと往復書簡を取り交わしている。


外部リンク[編集]