アルフォンソ12世 (スペイン王)
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アルフォンソ12世(Alfonso XII , 1857年11月28日 - 1885年11月25日)はスペイン王(在位:1875年 - 1885年)。女王イサベル2世と王配フランシスコ・デ・アシース・デ・ボルボーンの子。
王配フランシスコが同性愛者であることが知れ渡っていたため、アルフォンソの本当の父親は、近衛兵隊長エンリケ・プイグ・イ・モルトか、将軍フランシスコ・セラノのどちらかだという説がある。
1868年の革命により、イザベル女王と家族はスペインを追われ、パリへ移った。アルフォンソはウィーンで教育を受けた。1870年6月、パリへ呼ばれた彼は、引退表明した母から後継指名を受けた。その後、彼はサンドハースト王立陸軍士官学校で軍人の訓練を受けた。1874年、支持者らの支援を得て、スペイン王位奪取を宣言。その年の終わりに、陸軍元帥セラノはマドリードを離れて、北部連隊を指揮してカルロス支持者と戦闘を開始した。陸軍准将マルティネス・カンポスは、次々と南部を攻略し、王の名においてバレンシアに入城した。アルフォンソは、バルセロナ、バレンシアを経てマドリードにわずか数日で到達、自由憲法の受諾を宣言した。彼はカルロス支持者たちに強力な宣伝活動を行い、カルロス・デ・ボルボーンと彼の後継者たちへの支持は失速していった。
アルフォンソは、君主として統治を学ぶ機会が少なく、実際の在位期間も短かったが、亡命の経験が彼の天性の資質と正当な判断力を磨いた。慈悲深く、思いやりのある彼の心根は大多数の国民の支持を勝ち取った。1885年、彼は恐れる様子もなく、コレラに見舞われた地域、地震で崩壊した都市を訪問したのである。また、彼は特定の政党の手先にならないよう自身を律した。
彼の統治した期間は、久しぶりにスペインの内政・外交ともに平和であった時期と重なる。経済活動も平常化した。革命の恐れなしに、スペインはアメリカ合衆国との悲惨な戦争を切り抜けることができた。
1885年、肺結核で死去。
[編集] 家族
1878年1月23日、従妹にあたるモンパンシエ公女マリア・デ・ラス・メルセデス(イザベル女王の妹ルイサ・フェルナンダの娘)と結婚。不幸にも、彼女は結婚から半年後に死去した。
1879年11月29日、遠縁にあたるカール・フェルディナント大公の娘マリア・クリスティナと結婚。3子が生まれた。
- マリア・デ・ラス・メルセデス(1880年 - 1904年) カルロス・デ・ボルボーン=ドス・シキリアス(両シチリア王フランチェスコ2世の甥)の妃
- マリア・テレサ(1882年 - 1912年) バイエルン公子フェルディナント妃
- アルフォンソ13世
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