アルフォンソ・コルチ

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アルフォンソ・コルチ

アルフォンソ・ジャコモ・ガスパーレ・コルチAlfonso Giacomo Gaspare Corti1822年 ガンバラーナ - 1876年 コルヴィーノ・サン・クイーリコ)はイタリア外科医解剖学者

生涯[編集]

ロンバルディアの侯爵という高貴な家柄に生まれ(祖父のマッテオは教皇クレメンス7世侍医を務めた)、当初さらに後にも解剖学者のアントニオ・スカルパ (Antonio Scarpaマリオ・ルスコーニの弟子となり、1841年パヴィーア大学に入学するとバルトロメオ・パニッツァ (Bartolomeo Panizzaの弟子となった。ウィーン大学1847年ヨーゼフ・ヒルトルの下で解剖学で博士号を取得して学習を終えた。

ヨーロッパの主要な大学への数多くの旅の間、組織学、解剖学、化学に身を捧げた。特にパリ1850年哺乳類聴覚器官の研究を始めた。1851年にはヴュルツブルク大学で研究を深め、アルベルト・フォン・コリケル (Albert von Kölliker教授の研究室で初めてヒトの内耳の構造を記述した。特に内耳の基本的器官という発見の主役を生みだした。それは今日なおコルチ器 (Organ of Cortiと呼ばれている。

これらの重要な研究は多くのヨーロッパの学会内で大きな名声を得るに値するものだったので、コルチは会員の資格を得られた。

1852年イタリアに戻り、解剖学の研究を続けた。病を得て、1854年に研究を諦め、引退したカステッジョの別荘でぶどう栽培技術に身を捧げた。

関連項目[編集]

参考文献[編集]