アルフォンソ・カルロス・デ・ボルボン (サン・ハイメ公)

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サン・ハイメ公アルフォンソ

アルフォンソ・カルロス・フェルナンド・ホセ・フアン・ピオ・デ・ボルボン・イ・アウストリア=エステ(Alfonso Carlos Fernando José Juan Pío de Borbón y Austria-Este, duque de San Jaime y de Anjou, 1849年9月12日 - 1936年9月29日)は、ボルボン家の人物。サン・ハイメ公およびアンジュー公を称し、正統王党派(レジティミスト)によってフランス・ブルボン家の王位継承者シャルル12世とされ、またカルリスタによってスペイン王アルフォンソ・カルロス1世とされた。スペインおよびフランスの王位請求者モンティソン伯フアン・カルロスとその妻のモデナ公女マリーア・ベアトリーチェの次男。兄マドリード公カルロスの子ハイメの死後、両王位の請求権を受け継いだ。

1871年に、ポルトガルの廃王ミゲル1世の長女マリア・ダス・ネヴェスと結婚。2人には子供が生まれなかったことから、アルフォンソ・カルロスの代でボルボン家のカルリスタ王位請求者の男系は途絶えた。その後カルリスタは、退位したアルフォンソ13世の王子バルセロナ伯フアン(フアン4世、1913年 - 1993年[1]、その兄セゴビア公ハイメ(ハイメ4世、1908年 - 1975年[2]、アルフォンソ・カルロス自身が後継に指名していたパルマ公子サヴェリオ(ハビエル1世、1889年 - 1977年[3]トスカーナ公子カール・ピウス(カルロス8世、1909年 - 1953年[4]を推す諸派に内部分裂した。

脚注[編集]

  1. ^ 現スペイン王フアン・カルロス1世の父。息子の即位後に没し、スペイン王フアン3世として埋葬された。
  2. ^ 父王の生前に王位継承権を放棄、そののち一時は王位を主張したが、最終的にフアン・カルロス1世の正統性を認めた。
  3. ^ パルマ公ロベルト1世とマリア・ダス・ネヴェスの妹マリア・アントニアの子で、オーストリア皇后ツィタの兄。のちにブルボン=パルマ家家長となった。なお、その死後は息子2人がそれぞれ王位請求者に推され、支持者がさらに分裂した。
  4. ^ マドリード公カルロスの長女ブランカの子。父は最後のトスカーナ大公フェルディナンド4世の甥レオポルト・ザルヴァトール
先代:
ハイメ3世
スペイン王位請求者
(カルリスタ)
1931年 - 1936年
次代:
サヴェリオ
(ハビエル1世)
先代:
ジャック1世
フランス王位請求者
(正統派)
1931年 - 1936年
次代:
アルフォンス1世