アルバート・モッセ

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アルベルト・モッセ
1900年代頃のアルバート・モッセ
生誕 1846年10月1日
プロイセン王国ポズナン大公国Grodzisk Wielkopolski
死没 1925年5月31日(満78歳没)
職業 法律家

イサーク・アルベルト・モッセ(Isaac Albert Mosse, 1846年10月1日 - 1925年5月31日)はドイツ法律家お雇い外国人として日本に招かれた一人。“明治憲法の父”といわれる[1]ユダヤ系ドイツ人アルベルト・モッセとも称される。

経歴[編集]

ベルリン大学修了後、ベルリン裁判所判事となったのちドイツ在日本大使館顧問に就任。日本から調査にきた代表らに1882年から1883年に講義した。

1886年明治19年)に来日。モッセが来日する前にドイツの法律学者ヘルマン・レースラーがすでに招聘されていた。しかしモッセの憲法制定や地方制度の創設への貢献の方がより実質的な影響を与え、それゆえ、“明治憲法の父”といわれる。伊東巳代治はモッセの講義を『莫設氏講義筆記』として発表した。モッセは日本を気に入り、回想記に「すばらしい日本を忘れることはない」と記している。

1890年に帰国後はケーニヒスベルク高等裁判所判事、ベルリン大学法学部教授などに就任した。

弟子にウィルヘルム・ゾルフde:Wilhelm Solf)がおり、ヴァイマル共和政時代に駐日大使をつとめた。

脚注[編集]

  1. ^ ラビ・マーヴィン・トケイヤー『ユダヤ製国家日本──日本・ユダヤ封印の近現代史』(徳間書店)

参考史料[編集]

  • [1]最高法規としての憲法のあり方に関する調査小委員会「明治憲法と日本国憲法に関する基礎的資料(明治憲法の制定過程について)」、衆議院憲法調査会事務局,平成15年5月.
  • [2]瀧井一博「伊藤博文は日本のビスマルクか?」東京大学ドイツ・ヨーロッパ研究センター。
  • [3]坂井雄吉「モッセ書簡集の刊行によせて : 出版にこぎつけるまで」大東法学26巻2号、1996年

関連項目[編集]