アルバートサウルス亜科

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アルバートサウルス亜科
Albertosaurinae
地質時代
中生代後期白亜紀, 76.6–68 Ma
分類
ドメイン : 真核生物 Eukaryota
: 動物界 Animalia
: 脊索動物門 Chordata
亜門 : 脊椎動物亜門 Vertebrata
: 爬虫綱 Reptilia
亜綱 : 双弓亜綱 Diapsida
下綱 : 主竜形下綱 Archosauromorpha
上目 : 恐竜上目 Dinosauria
: 竜盤目 Saurischia
階級なし : 真竜盤類 Eusaurischia
亜目 : 獣脚亜目 Theropoda
階級なし : 新獣脚類 Neotheropoda
階級なし : 鳥吻類 Averostra
下目 : 堅尾下目 Tetanurae
階級なし : 鳥獣脚類 Avetheropoda
階級なし : コエルロサウルス類 Coelurosauria
階級なし : ティラノ盗類 Tyrannoraptora
上科 : ティラノサウルス上科 Tyrannosauridea
階級なし : 汎ティラノサウルス類 Pantyrannosauria
階級なし : 真ティラノサウルス類 Eutyrannosauria
: ティラノサウルス科 Tyrannosauridae
亜科 : アルバートサウルス亜科 Albertosaurinae
学名
Albertosaurinae
Currie et al., 2003
模式種
Albertosaurus sarcophagus
Osborn1905
和名
アルバートサウルス亜科

アルバートサウルス亜科学名: Albertosaurinae)は、フィリップ・J・カリーヨルン・フールム英語版カロル・サバス英語版ティラノサウルス科恐竜の一分類として提唱した、後期白亜紀アメリカカナダに生息した恐竜の亜科ティラノサウルス亜科の姉妹群にあたり、アルバートサウルスゴルゴサウルスが含まれる。

記載[編集]

アルバートサウルス亜科は大型で軽量な体格をしたティラノサウルス科である。ティラノサウルス亜科と比較して体つきは軽やかで全長は短く、頭骨が平たく、腸骨が短く、脛骨のプロポーションが長かった。アルバートサウルス亜科とティラノサウルス亜科は、特に前肢の短いタルボサウルスを例外として、他は長さがほぼ等しい[1]

アルバートサウルス(黄)とゴルゴサウルス(青)およびヒトの大きさ比較

アルバートサウルスはタルボサウルスやティラノサウルスといった他のティラノサウルス科よりも小柄である。アルバートサウルスとゴルゴサウルスの典型的な成体は全長8 - 9メートルに達し[2][3]、アルバートサウルスの大型個体は稀に10メートルを超える[4]。体重は別個の方法を採用して独立に複数の推定がなされており、成体のアルバートサウルスは体重1.3 - 2トンと提唱されている[5][6][7][8]。ゴルゴサウルスの体重はそれよりも重く、約2.5トン[9][8]や2.8 - 2.9トンと推定されている[10][7]

アルバートサウルスを含めて全てのティラノサウルス科は外見が似通っている。獣脚類としては典型的に、アルバートサウルスは二足歩行で、重い頭部と胴部のバランスは長い尾で維持していた。しかし、ティラノサウルス科の前肢は体サイズに対して極端に小さく、指も2本のみであった。後肢は長く、指は4本であった。第1趾が短いため地面に接するのは残る3本だけであり、そのうち第3趾が他よりも長かった[3]。アルバートサウルスは時速14 - 21キロメートルで歩行できた可能性がある[11]。少なくとも若い個体では高速走行を可能と見るのがもっともらしい[12]

分類と体系[編集]

本亜科はフィリップ・J・カリーヨルン・フールム英語版カロル・サバス英語版がティラノサウルス科恐竜の一分類として最初に提唱した。元々はアルバートサウルスとゴルゴサウルスの2属のみと定義されており、ティラノサウルス亜科の姉妹群である[13]。2007年にはタルボサウルスのシノニムとされることの多いマレエヴォサウルスが本亜科に分類された[14]が、この分類は受け入れられておらず、マレエヴォサウルスは今なおタルボサウルスあるいはティラノサウルスの幼体と考えられている[1]。クレヴェンジャー・T・M・マクレーンは一般に派生的なティラノサウルス上科とされるアリオラムスを本亜科あるいはその姉妹群に分類した[15]。これもまた受け入れられていない[16][17]

アルバートサウルスは獣脚亜目ティラノサウルス科アルバートサウルス亜科に属し、わずかに古い時代に生息した Gorgosaurus libratusAlbertosaurus libratus と呼ばれることもある)に最も近縁である[13]。これら2種だけが唯一記載されたアルバートサウルス亜科であり、未記載種が存在する可能性もある[18]トーマス・R・ホルツ・ジュニア英語版アパラチオサウルスをアルバートサウルス亜科に加える論文を2004年に発表した[3]が、彼は後の未発表の研究でアパラチオサウルスをティラノサウルス科の外に位置付けており[19]、これは他の研究者からも賛同された[20]。ティラノサウルス科でもう一つの主要な亜科としてティラノサウルス亜科があり、ダスプレトサウルスやタルボサウルス、ティラノサウルスなどが属する[13][18]

ゴルゴサウルスとアルバートサウルスの関係[編集]

Gorgosaurus libratusAlbertosaurus sarcophagus が余りにも似ているため、多くの研究者が長きに亘って両者を一つの属に統合していた。最初に与えられたアルバートサウルスに優先権が与えられ、ゴルゴサウルスはしばしばそのジュニアシノニムと考えられた。ウィリアム・ディラー・マシュー英語版バーナム・ブラウンは早くも1922年にその区別を疑った[21]Gorgosaurus libratus は1970年にデイル・ラッセルにより Albertosaurus libratus としてアルバートサウルスに再分類され[2]、後の数多くの論文著者が彼の先導に従った[20][22]。2属を統合したことでアルバートサウルスの地理的・時間的生息範囲は大きく拡張された。2属を別個に扱い続ける研究者もいた[3]。カナダの古生物学者フィリップ・J・カリーはアルバートサウルスとゴルゴサウルスの間にはダスプレトサウルスとティラノサウルスの間ほどの2属を常に区別する解剖学的相違点があると主張した。また、アラスカ州ニューメキシコ州および北アメリカの他の地域で発見された未記載のティラノサウルス科が状況の明確化に役立つと彼は主張した[18]グレゴリー・ポールGorgosaurus libratusAlbertosaurus sarcophagus の祖先であると提唱した[23]

系統[編集]

アルバートサウルス亜科はティラノサウルス科の基盤的な亜科であり、2014年の派生的ティラノサウルス亜科の新属ナヌークサウルスの系統解析で認められ、アルバートサウルスとゴルゴサウルスのみを含むと記録された[17]。両属は大半の分類で別属とされたままになっており[16][17]、これはカリーの研究による[18]。以下のクラドグラムはアンソニー・フィオリロ英語版とロナルド・ティコスキーによるナヌークサウルスの系統解析の間に判明したもの[17]

ティラノサウルス科
アルバートサウルス亜科

アルバートサウルス

ゴルゴサウルス

ティラノサウルス亜科

ダスプレトサウルス・トロスス

ダスプレトサウルス・ホルネリ

テラトフォネウス

ビスタヒエヴェルソル

リトロナクス

ナヌークサウルス

タルボサウルス

ズケンティラヌス

ティラノサウルス

古生物学[編集]

ゴルゴサウルスとダスプレトサウルスの共存[編集]

ダイナソーパーク累層の中層で、ゴルゴサウルスはより希少なティラノサウルス科のダスプレトサウルスと共存していた。これは2属のティラノサウルス科が同所的に生息した数少ない例の一つである。現代の捕食動物の群集では、同様の体格をした捕食者は解剖学的・行動的・地理的差異により競争を制限され別々の生態的地位に分かれる。ダイナソーパーク累層のティラノサウルス科の間での生態的地位の違いはまだ理解がよく進んでいない[24]。1970年にデイル・ラッセルは、ゴルゴサウルスが一般に足の速いハドロサウルス科を積極的に狩り、彼らより重厚なダスプレトサウルスには角や鎧を纏っていて厄介で数の少ないケラトプス科アンキロサウルス科が残されたと仮説を打ち立てた[2]。しかし、同時代を示すモンタナ州のツーメディスン累層から産出したダスプレトサウルスの標本 OTM 200 は腸の領域に幼体のハドロサウルス科の残骸が残っており[25]、さらに別のボーンベッドからは3頭のダスプレトサウルスが少なくとも5頭のハドロサウルス科と共に発見された[26]

他の恐竜のグループとは異なり、標高差を利用した棲み分けは両属に見られなかった[24]。しかし、ゴルゴサウルスの化石はダイナソーパークといった北部の層で一般的であり、ダスプレトサウルスの種の化石は南方で豊富であった。このパターンは他の恐竜でも見ることができる。カスモサウルス亜科のケラトプス科やサウロロフス亜科のハドロサウルス科も、モンタナ州のトゥーメディスン累層などカンパニアンの北アメリカ南部に多く、セントロサウルス亜科ランベオサウルス亜科は北方の緯度で支配的である。このティラノサウルス亜科、カスモサウルス亜科、サウロロフス亜科の間の生態的パフォーマンスを共通していることがこの分布パターンに示されているとホルツは提唱した。マーストリヒチアンの終わりにはティラノサウルス・レックスのようなティラノサウルス亜科、エドモントサウルスクリトサウルスといったサウロロフス亜科、トリケラトプストロサウルスなどのカスモサウルス亜科が北アメリカ西部へ拡散した。その一方でヒパクロサウルスなど少数の種からなるランベオサウルス亜科は希少となり、アルバートサウルス亜科とセントロサウルス亜科は絶滅した[3]

成長[編集]

ティラノサウルス科4属の成長曲線を描いたグラフ。ゴルゴサウルスが青色、アルバートサウルスが赤色。Erickson et al. 2004 に基づく

グレゴリー・M・エリクソン英語版らは骨の組織学を用いて死亡年齢を推定し、ティラノサウルス科の成長と生活環を研究した。成長曲線は様々な個体の年齢と体サイズを対応させてグラフにプロットすることで作成される。ティラノサウルス科は生涯を通じて成長を続けるが、幼年期の後4年間は驚異的な成長を遂げる。この急激な成長が終わるころに性成熟が起こると考えられ、成体の成長速度は極めて緩やかになる[5]。様々な体サイズのゴルゴサウルスの標本5つを検査し、エリクソンは急成長期における最大成長率を年間50キログラムと計算した。これはダスプレトサウルスやティラノサウルスといったティラノサウルス亜科よりは緩やかであるが、アルバートサウルスと並ぶ値である[5]

ゴルゴサウルスは生涯の半分を幼年期に費やした後、わずか数年で最大サイズに近い体躯まで成長する[5]。これにより、巨大なティラノサウルス科と他の小型獣脚類との中間サイズの捕食動物がいなかったため、ティラノサウルス科の幼体がその生態的地位を埋めていたことが示唆されている。同様のパターンが現生のコモドオオトカゲに見られ、彼らは木を這って虫を捕食するところから始まって緩やかに成長し、大型脊椎動物を引き倒すことのできる巨大な頂点捕食者に至る[3]

ドライ・アイランド・バッファロー・ジャンプ州立公園英語版から産出したアルバートサウルスは成長の間に歯が厚くなって形状が大きく変化したため、若い個体と成体の骨格が同じ分類群に属すると証明できなくなり、幼体の歯は系統解析により別種のものと同定された可能性が高い[27]

生活史[編集]

これまで知られているアルバートサウルスの個体の大半は14歳前後で死亡している[28]。しかし、これまで知られている最も若い個体は2歳の幼体、最高齢の個体は28歳の成体である。ドライ・アイランドのボーンベッドで発見された2歳の個体は全長約2メートルで、同じ産地から産出した28歳の個体は全長10メートルに達した[4]。幼体は滅多に化石として発見されないが、これは主に幼体の小さな骨は成体の大きな骨よりも化石化により保存されにくいという保存バイアス、小さな骨歯フィールドで収集者が気付きにくいという収集バイアスによる[28]。若いアルバートサウルスは動物の幼体としては比較的大型であるが、成体と比較すると化石記録はそれでも希少である。この現象はバイアスではなく、アルバートサウルスの生活史によるもので、単純に幼体が成体ほど頻繁に死ぬことはなかったからだとする見解もある[4]

群れで大量死したものの、幼体は体が小さく繊細な構造であったため化石記録に保存されなかったとする生活史仮説もある。わずか2年後には幼体は成体のアルバートサウルスを除けばその地域の他のどの捕食動物よりも大型で、大半の獲物より俊足であった。これにより幼体の脂肪質が劇的に低下し、そのまま化石の希少性に繋がったという。死亡率は12歳で倍加するが、これはおそらく急成長段階の生理的要求の結果である。14歳から16歳の間の性成熟を迎えるとともに死亡率は再び倍増した。成体はその後も死亡率が上昇し、これはおそらく交配や資源を巡る種内競争で受けるストレスや負傷などの生理的要求、最終的には老化の影響である。成体の死亡率が高いと、化石が多く保存されていることにも説明がつく。非常に大型の動物はそのような体躯に達するまで生き残る個体が少ないため希少である。生まれた直後の死亡率が高く、幼体の時期に死亡率が低下し、成体で急激に死亡率が増大し、ごく少数のみが最大サイズに達する動物には、ゾウやアフリカスイギュウサイなどの大型哺乳類が該当する。同様のパターンはティラノサウルス科でも確認できる。現生哺乳類と他のティラノサウルス科の比較はこの生活史仮説を支持しているが、全てのアルバートサウルスの三分の二を超える数が同じ産地から産出している以上、化石記録のバイアスもまだ大きな要因の一つである[4][29]。アルバートサウルスとゴルゴサウルスの個体はいずれも12 - 16歳の4年間に急激な成長を遂げた[4]

群れ[編集]

バーナム・ブラウンらが発見したドライ・アイランドのボーンベッドには26体のアルバートサウルスが保存されており、一ヶ所から産出した大型獣脚類としては世界最多であり、ぞ尾型獣脚類全体でもユタ州の Cleveland-Lloyd Dinosaur Quarry から産出したアロサウルスに次いで2番目である。この群れは非常に高齢の個体1頭、17 - 23歳の成体8頭、12 - 16歳の急成長期真っ只中の亜成体7頭、2 - 11歳の急成長期に至っていない幼体6頭から構成されている[4]

ロイヤル・ティレル古生物学博物館のアルバートサウルスの群れのブロンズ像。2007年にブライアン・クーレイが設計した[30]

アルバートサウルスのボーンベッドから植物食性動物の化石がほぼ産出しておらず、また多くの個体の保存状態が似ているため、 カリフォルニア州ラ・ブレア・タールピットのような捕食者トラップではなく、さらに保存されている死んだ動物たちは全て同時に死亡したとカリーは結論付けた。彼はこれを群れで行動していたことの根拠であると主張した[31]。他の科学者はこれに懐疑的であり、アルバートサウルスは干ばつや洪水などの理由で一緒に運ばれた可能性があると意見した[4][28][32]

角竜ハドロサウルス科など植物食恐竜には群れで行動していた証拠が豊富にある[33]が、同じ場所で肉食恐竜が数多く発見されることも稀にある。ディノニクス[34]コエロフィシスおよびシンタルルス[35]といった小型獣脚類は群れで発見され、アロサウルスやマプサウルスといったより大型の捕食動物も同様である[36]。他のティラノサウルス科にも群居性の証拠がある。シカゴフィールド自然史博物館で化石が組み立てられたスーの近くで小型個体の断片化石が発見されているほか、モンタナ州ツーメディスン累層のボーンベッドには少なくとも3つのダスプレトサウルスの標本が数頭のハドロサウルス科の傍に保存されていた[26]。これらの発見は、一時的あるいは異様な集合時の化石である可能性を否定できないものもあるが、アルバートサウルスの社会的行動の証拠と結びつけられる可能性がある[31]。社会的集団ではなく、コモドオオトカゲのように死体の周りに群がり、激しく争って殺し合いや共食いに発展していたと推測する研究者もいる[28]。なお、アルバートサウルスが一般に群れで発見されていても、近縁なゴルゴサウルスも群れで行動していたという証拠はない[26][37]

出典[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b Currie 2002.
  2. ^ a b c Russell 1970.
  3. ^ a b c d e f Holtz 2004.
  4. ^ a b c d e f g Erickson et al. 2006.
  5. ^ a b c d Erickson et al. 2004.
  6. ^ Christiansen & Fariña 2004.
  7. ^ a b Campione, Nicolas E.; Evans, David C.; Brown, Caleb M.; Carrano, Matthew T. (2014). “Body mass estimation in non-avian bipeds using a theoretical conversion to quadruped stylopodial proportions”. Methods in Ecology and Evolution 5 (9): 913–923. doi:10.1111/2041-210X.12226. 
  8. ^ a b Benson, R. B. J.; Campione, N. S. E.; Carrano, M. T.; Mannion, P. D.; Sullivan, C.; Upchurch, P.; Evans, D. C. (2014). “Rates of Dinosaur Body Mass Evolution Indicate 170 Million Years of Sustained Ecological Innovation on the Avian Stem Lineage”. PLoS Biology 12 (5): e1001853. doi:10.1371/journal.pbio.1001853. PMC 4011683. PMID 24802911. https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC4011683/. 
  9. ^ Seebacher 2001.
  10. ^ Therrien & Henderson 2007.
  11. ^ Thulborn 1982.
  12. ^ Currie 2000.
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  15. ^ McLain 2012.
  16. ^ a b Loewen et al. 2013.
  17. ^ a b c d Fiorillo & Tykoski 2014.
  18. ^ a b c d Currie 2003.
  19. ^ Holtz 2005.
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  22. ^ Paul 1988.
  23. ^ Paul 2010.
  24. ^ a b Farlow & Pianka 2002.
  25. ^ Varricchio 2001.
  26. ^ a b c Currie et al. 2005.
  27. ^ Buckley, Lisa G.; Larson, Derek W.; Reichel, Miriam; Samman, Tanya (2010). “Quantifying tooth variation within a single population of Albertosaurus sarcophagus (Theropoda: Tyrannosauridae) and implications for identifying isolated teeth of tyrannosaurids”. Canadian Journal of Earth Sciences 47 (9): 1227–1251. doi:10.1139/e10-029. 
  28. ^ a b c d Roach & Brinkman 2007.
  29. ^ Erickson et al. 2010.
  30. ^ Tanke, Darren H. (2011). “A History of Albertosaurus-related Popular Culture Events and Activities in Canada”. Alberta Palæontological Society Bulletin 26 (2): 12–30. 
  31. ^ a b Currie 1998.
  32. ^ Eberth, David A.; & McCrea, Richard T. (2001). “Were large theropods gregarious?”. Journal of Vertebrate Paleontology 21 (Supplement to 3 – Abstracts of Papers, 61st Annual Meeting of the Society of Vertebrate Paleontology): 46A. doi:10.1080/02724634.2001.10010852. (published abstract only)
  33. ^ Horner, John R. (1997). “Behavior”. In Philip J. Currie; Padian, Kevin. Encyclopedia of Dinosaurs. San Diego: Academic Press. pp. 45–50. ISBN 978-0-12-226810-6 
  34. ^ Maxwell, W. Desmond; Ostrom, John H. (1995). “Taphonomy and paleobiological implications of Tenontosaurus-Deinonychus associations”. Journal of Vertebrate Paleontology 15 (4): 707–712. doi:10.1080/02724634.1995.10011256. 
  35. ^ Raath, Michael A. (1990). “Morphological variation in small theropods and its meaning in systematics: evidence from Syntarsus rhodesiensis”. In Kenneth Carpenter; Currie, Philip J.. Dinosaur Systematics: Approaches and Perspectives. Cambridge: Cambridge University Press. pp. 91–105. ISBN 978-0-521-43810-0 
  36. ^ Coria, Rodolfo A.; & Currie, Philip J. (2006). “A new carcharodontosaurid (Dinosauria, Theropoda) from the Upper Cretaceous of Argentina”. Geodiversitas 28 (1): 71–118. オリジナルの26 March 2009時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20090326062832/http://www.mnhn.fr/museum/front/medias/publication/7653_g06n1a4.pdf 2009年5月3日閲覧。. 
  37. ^ Tanke & Currie 1998.

参考文献[編集]