アルド・フィンツィ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索

アルド・フィンツィAldo Finzi1897年2月4日 - 1945年2月7日)は、イタリア作曲家

ミラノ出身。マントヴァで音楽家を輩出したユダヤ人の家系に生まれる。パヴィア大学で法学を学ぶと同時に、ローマ聖チェチーリア音楽院作曲を学んだ。若くして成功を収め、作品の多くがリコルディから出版された。

しかし1938年に人種法が成立し、ユダヤ人である彼の作品が演奏される機会は失われた。それでも音楽への情熱は失わず、偽名を使って作曲を続けた。第二次世界大戦中に北イタリアドイツの影響下におかれると、潜行生活を送っていたが、奇跡的に捜索や強制送還を免れた。1944年から1945年にかけて、自分と息子の無事を神に感謝して『合唱とオーケストラのための詩篇』を作曲した。しかし2月7日に病死し、偽名のまま埋葬された。故郷のミラノの家族の墓地に改葬されたのは、戦争終結後のことである。

作品[編集]

オペラ・オペレッタ[編集]

  • 風のセレナータ
  • シャイロック

管弦楽曲[編集]

  • シラノ・ド・ベルジュラック
  • 無限に
  • 間奏曲
  • 2つのピアノと2つのサクソフォーンとオーケストラのための舞曲

室内楽曲・器楽曲[編集]

  • 弦楽四重奏曲
  • ヴァイオリンのためのソナタ
  • オルガンのための前奏曲とフーガ

外部リンク[編集]