アルド・クレメンティ

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アルド・クレメンティ(Aldo Clementi、1925年5月25日 - 2011年3月3日)はシチリアカターニア生まれの、イタリア作曲家

略歴 [編集]

ジョヴァンナ・フェッロとアルフレッド・サンジョルジに師事。ピエトロ・スカルピーニのピアノのマスタークラスを受講した事もあり、ピアニストとしての訓練も受けた。ジャチント・シェルシのアシスタントを務めたこともあったがシェルシの影響の痕跡はほとんど見られず、ほぼ独自の試みに基づいた極めて個性的な創作を行っていた。

1971年から1992年までボローニャ音楽院で音楽理論の教鞭を執った。

21世紀に入っても定期的に作品を完成させていたが、2011年に亡くなった。85歳。

作風 [編集]

初期の「コンポジション第一番」や「トリプルム」(フルートオーボエクラリネット)は、セリエルの模範作を完成させることに邁進した作品。その後、総計144段譜を駆使した「ヴァリアンテA」(混声合唱と管弦楽)や偶然性の音楽の影響を受けた「アンフォルメル1」に見られる大量の音符を撒き散らす第作品を作曲する。「ピアノと9楽器のためのコンチェルト」に見られるような極度に点的な音楽観へシフトした後、「アダージョ」(プリペアド・ピアノによるピアノ五重奏)、「スケルツォ」、「子守唄」(管弦楽)など同一の素材のローテーションにまるでオルゴールが止まってゆくかのような遅延をかける「カノン・ラレンタンド」と呼ばれる様式を確立。そして晩年には「カノン・ラレンタンド」から脱し、旋律断片の部分的拡大及び縮小を施した「ファラドワルツ」、19世紀的語法に単純な反行型を与える様式上のミスマッチが新鮮な「ソナタY.」(ヴァイオリン独奏)などを作曲した。

前衛の停滞以降、クレメンティも積極的に過去の音楽的遺産を振り返るようになった。とはいえ、これらの作品群はすべて「カノン的思考」に徹底されていることが、クレメンティ音楽の大きな特色である。シェルシからクレメンティが学んだものは「聴覚上のカノン」ではなく「書法上のカノン」であった。実際、クレメンティの音響嗜好は年とともに刻々と移り変わってきた。最も有名な第四期の音響は立体的だが、第五期はそれに反するかのように平面的である。

現在に到るまでイタリアの作曲家達は、対位法の伝統とは切っても切れない関係にあるといえるであろう。その中でクレメンティはマドリガル様式に現代的解釈を与えることに成功した、唯一の作曲家である。全作品はツェルボーニ社から出版され、レンツォ・クレスティジャンルイージ・マッティエッティに拠る研究書も同社より刊行。

受容状況 [編集]

2005年ヌオヴァ・コンソナンツァ音楽祭にて、80歳の誕生日を盛大に祝うコンサートシリーズが展開された。対位法の伝統を駆使するタイプの作曲家はアジア圏では受け入れられないことも多く、日本のみならず韓国中国でもクレメンティの受容は遅々として進まなかったが、2006年東京芸術大学で日本初の個展が開催された。