アルトランシュテット条約

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アルトランシュテット条約アルトランシュテットの和議とも、Altranstadt)は、1706年9月24日スウェーデン王国とポーランド=ザクセン連合(ポーランド=リトアニア連合及びザクセン選帝侯領)との間で結ばれた和平条約である。この条約で、ポーランド王リトアニア大公アウグスト2世は退位した。

内容[編集]

  1. アウグスト2世はポーランド王及びリトアニア大公を退位し、スタニスワフ・レシチニスキに譲位する。
  2. アウグスト2世の下した命令や決議は全て無効とする。
  3. アウグスト2世が結んだ他勢力との条約を一切破棄する。
  4. スウェーデンの捕虜を解放する。
  5. スウェーデンからの亡命者を引き渡す。
  6. 戦争継続中のスウェーデン軍に食料と資金を与える。

ザクセン選帝侯国の首都ドレスデンに侵攻したカール12世は5年間のポーランドとの戦役に勝利し、アウグスト2世を退位させ、ポーランド=リトアニア連合をスウェーデンの従属国家にする事に成功した。この成功によってカール12世はヨーロッパで最大の名声と栄光を手にした。最も重要な事は、スウェーデン領リヴォニアから亡命したヨハン・パトクルの捕縛で、反スウェーデン同盟の最大の功労者であった彼は条約の翌年に処刑された。一方この条約はポーランド=リトアニア連合に対する最後の打撃となり、この惨禍からついに立ち直る事は出来なかった。以降、連合王国は長い暗黒時代へと入る事となった。

しかしスウェーデンの栄光は長くは続かなかった。ウクライナ・コサックヘーチマンであるイヴァン・マゼーパはスウェーデンと結び、カール12世をロシア遠征へと向わせた。1707年、カール12世は1年間留まったザクセンを去ったが、ロシアはすでに迎撃の準備が整っており、バルト地方は既にロシアの攻勢が始まっていた。1709年、カール12世の敗北とアウグスト2世の復位により、この条約は無効化される事となった。

参考文献[編集]