アルトゥール・モラエス

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アルトゥール・モラエス Football pictogram.svg
Artur Moraes 2012.jpg
名前
本名 アルトゥール・ギリェルメ・モラエス・グスマン
愛称 Rei Artur (アーサー王)
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 1981年1月25日(33歳)
出身地 サンパウロ州レメ
身長 192cm
体重 90kg
選手情報
在籍チーム ポルトガルの旗 SLベンフィカ
ポジション GK
背番号 1
利き足 右足
ユース
1996-2001 ブラジルの旗 パウリスタFC
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2001-2003
2003-2007
2006-2007
2008
2008
2008-2010
2010-2011
2011-
ブラジルの旗 パウリスタFC
ブラジルの旗 クルゼイロEC
ブラジルの旗 コリチーバFC
イタリアの旗 ACシエナ
イタリアの旗 ACチェゼーナ
イタリアの旗 ASローマ
ポルトガルの旗 スポルティング・ブラガ
ポルトガルの旗 SLベンフィカ
? (?)
43 (0)
25 (0)
0 (0)
18 (0)
12 (0)
18 (0)
36 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2012年11月7日現在。
テンプレート(ノート 解説)サッカー選手pj

アルトゥール・ギリェルメ・モラエス・グスマン(Artur Guilherme Moraes Gusmão, 1981年1月25日 - )は、ブラジルサンパウロ州レメ英語版出身のサッカー選手。ポジションはゴールキーパースーペル・リーガSLベンフィカ所属。2011-12シーズンに素晴らしいプレーをしたことから、ベンフィカ・ファンから"Rei Artur"(アーサー王)と呼ばれる[1]

クラブ[編集]

ブラジル[編集]

パウリスタFCでキャリアを始め、2003年にクルゼイロECへ加入。2006年と2007年に向けコリチーバFCへ貸し出される[2]。加入1年目はクレーベル・ゲラ英語版, ロドリゴ・ピーテルス・マルケス英語版とのポジション争いを制し正GKになるも、2年目の2007年はエドソン・バストス英語版に奪われてしまった。

イタリア[編集]

クルゼイロとの契約が切れた後の2008年1月4日ACシエナと2年契約を結んだ[3]。同月の30日にACチェゼーナへレンタルされた。

6月25日、チームメイトのシモーネ・ロリア英語版と共にASローマへ移籍。この動きに併せ、ローマ側はジャンルカ・クルチを共同保有し、アーメド・アピマー・バルッソをレンタルの形でシエナ側に移籍させた。さらに、両クラブが共同保有していたダニエレ・ガッロッパの保有権を完全に渡した[4]。ローマでの最初のプレシーズンマッチ・ステアウア・ブカレスト戦で非公式デビューをするも1-3で敗戦した[5]

2009年4月に正GKのドニが負傷した際、ジュリオ・セルジオピエトロ・ピポロとの争いを制しゴールマウスを守った。しかし、2009-10シーズンはジュリオ・セルジオが正GKになり、ドニとさらに新加入のボグダン・ロボンツが控えを務める形になりアルトゥールは第4GKで事実上の戦力外となりクラブを去っていった。2年間でリーグ戦出場はわずか12試合だった。

ポルトガル[編集]

2010年夏にエドゥアルドパヴェウ・キェシェク英語版と2人のGKを失ったポルトガルスポルティング・ブラガに移籍。新加入のキムがシーズンを棒に振るほどの大怪我をしたことにより、UEFAチャンピオンズリーグ 2010-11予選3回戦からマリオ・フェルゲイラス英語版フェリペ・ヴェントゥーラ・ドス・サントス英語版の第3GKとなる。リーグ戦では、正GKのフェリペが12月にブラジルへと戻っていった後のフェルゲイラス、マルコス・バルボーサ・オリヴェイラ英語版とのポジション争いを制し正GKに昇格した。以降は、常にゴールマウスを守りUEFAヨーロッパリーグ 2010-11準優勝に貢献した。

2011年5月20日SLベンフィカに4年契約で移籍した[6]。1年目はエドゥアルドとのGK争いに勝ち、シーズンを通して出場。殆どミスをしないプレーからメディアから'Rei Artur'と呼ばれるようになった。

所属クラブ[編集]

ブラジルの旗 コリチーバFC 2006-2007
イタリアの旗 ACチェゼーナ 2008.1-2008.6

タイトル[編集]

クラブ
ブラジルの旗 パウリスタFC
ブラジルの旗 クルゼイロEC

脚注[編集]

外部リンク[編集]