アリー・ザイヌルアービディーン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索

アリー・イブン・フサイン・ザイヌルアービディーンアラビア語: علي بن حسين زين العابدين; 西暦658年 - 713年)はシーア派第4代イマームフサイン・イブン・アリーの子で、預言者ムハンマドの曾孫にあたる。ザイヌルアービディーンはシーア派のあいだで冠せられる名であり「崇拝者らの宝飾」の意。またイマーム・サッジャードとも。

出自と家系[編集]

アリー・イブン・フサインは658年、マディーナに生まれた。父フサイン・イブン・アリーは大部分のシーア派ムスリムが第3代イマームと認めるムハンマドの孫である。またシーア派には、アリー・イブン・フサインの母はサーサーン朝の末帝ヤズデギルド3世の娘シャフルバヌーとする伝承がある。

このサーサーン帝室の後裔でもあるという信仰から、アリーはイブン・アル=ヒラヤタイン「最良の二つの息子」とも呼ばれる。「最良の二」とは、アラブにおけるクライシュ族と、非アラブにおけるペルシア人、なかんずくサーサーン帝室の意味である。

シーア派での伝承によれば、アリーの母は捕虜としてマディーナへ連行された。時の第2代正統カリフウマルは、彼女を売ることを考えたが、アリー・イブン=アビー=ターリブはこれにかわって、彼女にムスリムのいずれかを夫として選択させ、婚資金は公金をもって賄うことを提案した。そこでウマルが同意し、彼女が選んだのがアリーの息子フサインであったとされるのである。彼女はその一人息子アリー・ザイヌルアービディーンを生んだ直後に亡くなったとされる。また祖父アリー・ブン・アビー=ターリブが亡くなったとき、アリー・ザイヌルアービディーンはおよそ2歳であった。

アリー・ザイヌルアービディーンはのち息子11人、娘4人、あわせて15人の子をなしている。

学問[編集]

アリー・ザイヌルアービディーンはその生涯を学びに捧げ、預言者のハディースシャリーア(イスラーム法)の権威となった。シーア派において『クルアーン』、『ナフジュ・アル=バラーガ(玉章の大道)』に次いで権威ある書物とされる『サヒーファ・アッ=サッジャーディーヤ』(一般に「お家(預言者ムハンマド家)の規矩」として知られる)の情報源とされる。また、アリー・ザイヌルアービディーンは、サイード・イブン・ジュバイルのような多数の忠実な支持者を得ていた。

敬虔な信徒として[編集]

シーア派ムスリムはアリー・ザイヌルアービディーンの高潔な品格、敬虔さを高く評価し賞賛する。そうしたことから、その生前においてさえ「ザイヌルアービディーン」の号を得ていたと考えられる。

アーシューラーの前後[編集]

有名なアーシューラーの日、すなわちカルバラーの戦いにおいて、父フサインをはじめ、アリー・ザイヌルアービディーンの家族の多くが死に追いやられた。アリー・ザイヌルアービディーンは、病弱の故に病の床に伏して戦闘に参加せず、結果的に生き残る。戦いののちアリーはウマイヤ朝の捕虜となってダマスクスへ連行され、時のカリフ・ヤズィード1世の虜囚として過ごした。数年後に釈放されると、マディーナへと戻り、学者として師として静かな人生を送ることになる。

20年ものあいだ、アリーは食物を供されると常に涙を流したという。ある時、従僕がアリーに尋ねた。

「ああ、神の預言者の子よ!。あなたの悲しみの時は幕を閉じたのではないのか」と。アリーは応えた。「ああ、そなた! 預言者ヤークーブは12人の息子を授かったが、神はその1人を消し給うた。ヤークーブの眼はその常の嘆きによって白く曇り、その髪頭はなお悲しみにより灰に転じ、さらに背はひしゃげてしまったという。彼にはなお息子が残されたというに。私はどうか。父、兄弟、叔父……17人もの我が縁者は惨たらしくことごとく滅せられたのだ。であるのに、我が悲しみは終わらねばならぬと?」と。

死没[編集]

アリー・ザイヌルアービディーンはヒジュラ暦94/5年(西暦712-714年)の死に至るまでマディーナを居とした。その死について、時のカリフ・ワリード・イブン・アブドゥルマリク・イブン・マルワーンによる毒殺とする主張もある。遺骸はイスラーム史上の重要な人物らの葬られるマディーナのジャンナトゥル・バキー墓地に葬られている。

イマーム職継承問題[編集]

アリー・ザイヌルアービディーンのイマーム職を誰が継いだのか、という問題は、シーア派の分派につながった。すなわちイマーム派(十二イマーム派イスマーイール派)がムハンマド・バーキルの継承を認めるのに対し、少数の者らはムハンマド・バーキルの兄弟ザイド・イブン・アリーの継承を奉じる。この人びとをザイド派英語版と呼ぶ。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

シーア派[編集]

スンナ派[編集]


先代:
フサイン・イブン・アリー
12イマーム派イマーム
680年 - 713年
次代:
ムハンマド・バーキル