アリシア・アロンソ

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1955年頃

アリシア・アロンソAlicia Alonso、本名:Alicia Ernestina de la Caridad del Cobre Martínez y del Hoyo, 1920年12月21日 - ) はキューババレエダンサー振付家

経歴[編集]

キューバの首都、ハバナの裕福な軍人の家庭に生まれる。幼少時にスペインでダンスを習ったのち、9歳でバレエを始めた。1937年にニューヨークへ移り、アメリカ・バレエ学校で学んだのち、渡英してロンドンでV・ヴォルコワに師事。

18歳でL・カーステインが率いるバレエ・キャラバンに参加し、その後1940年から1959年にかけてABTで活躍した。柔らかな動きと完璧なテクニックで古典もコンテンポラリーも自在に踊りこなし、バランシン 『テーマとバリエーション』、B・ニジンスカ 『シューマン協奏曲』 などの初演を踊ったほか、ジゼルカルメン役では最高の評価を得る。19歳の頃から網膜剥離を患い、手術を繰り返しながら失明に近い状態で踊り続けてきたことは知られている。

一時休業中の1948年、帰国してA・アロンソ・バレエ団を設立。これは現在のキューバ国立バレエ団となる。キューバ内戦中の1957年、西側のダンサーとして初めてソ連に招かれて客演し、1960年には自らのバレエ団を率いて訪ソ公演を行った[1]

1950年代からは振付も手掛け、『交響曲の試み』(Ensayo sinfónico, 1950年)、『サーカス』(El circo, 1967年)、『コラドの任務』(Misión Korad, 1980年) などの作品があるほか、1972年にはパリ・オペラ座で自らの新演出 『ジゼル』の初演を踊っている。

2002年からユネスコ親善大使となり、有形無形文化財の保護に尽力しながら、ほぼ盲目となった現在でもキューバ国立バレエの芸術監督を務めている。

脚注[編集]

  1. ^ キューバ・米国間の関係悪化により米国内での出演は1960年で途切れてしまい、ABTに再び出演したのは1975年になった。

文献[編集]

  • Marilyn Hunt, "Alicia Alonso", International Encyclopedia of Dance, Vol.1, ISBN 0-19-517585-9, pp.48-50.

外部リンク[編集]