アリギバ
| アリギバ | |
|---|---|
| モンゴル帝国 | |
| 11代皇帝(大ハーン) | |
| 王朝 | モンゴル帝国 |
| 在位期間 | 1328年9月 - 1328年11月14日 |
| 姓・諱 | Arigiba アリギバ |
| 生年 | 1320年? |
| 没年 | 1328年11月14日? |
| 父 | イェスン・テムル |
| 母 | バブハン |
| 年号 | 天順(1328年) |
| アリギバ | |
|---|---|
| 元 | |
| 7代皇帝 | |
| 王朝 | 元 |
アリギバ(Arigiba, 1320年? - 1328年11月14日?)は、モンゴル帝国(元)の第11代皇帝(大ハーン、在位1328年10月 - 1328年11月14日)。漢字表記は阿里吉八、阿剌吉八、阿速吉八など。名はアスギバ、ラキパクともいう。
父の第10代イェスン・テムルを継いで即位したため、本来であれば第12代ハーンであるが、即位直前のクーデターにより擁立された対立ハーンに敗れて廃されたため、一般に歴代には数えられない。漢風の廟号ももたないが、2ヶ月間の短い即位期間に天順の元号を立てたので天順帝と呼ばれることもある。
アリギバは傍系からハーンに即位した泰定帝イェスン・テムルの長子で、長らくハーン家の夫人を輩出してきた名門姻族コンギラト氏のバブハンを母とし、幼くして皇太子に立てられた。1328年旧暦7月、まだ36歳の若さであったイェスン・テムルが病気により上都で急死すると、イェスン・テムルの寵臣で宰相の左丞相ダウラト・シャーによって後継者に擁立され、9月に上都でハーンに即位した。
しかしイェスン・テムルの急死は、ダウラト・シャーらイェスン・テムルがモンゴル高原に駐留する王族の晋王だった時代からの側近たちによって政権が牛耳られていることに対し不満を募らせていた政権非主流派の軍閥たちの決起をうながした。8月、もうひとつの首都である大都に駐留していたキプチャク親衛軍の司令官エル・テムルは反乱を起こして大都の政府機関を占拠し、武宗カイシャンの遺児の擁立を呼びかけた。アリギバの即位したのと同じ9月、湖北の江陵にいたカイシャンの次男懐王トク・テムルが大都に迎え入れられ、アリギバの対立ハーンに即位する。
アリギバを擁立する上都側は反乱を押さえ込むために大都へと侵攻したが、迎え撃ったエル・テムルらの軍勢に敗北し、アリギバの軍は崩壊した。10月になると内モンゴル東部を領する斉王オロク・テムル(チンギス・ハーンの弟ジョチ・カサルの王家)が大都側について上都を囲み、アリギバとダウラト・シャーは完全に孤立した。ダウラト・シャーは大都側に投降して処刑されたが、幼帝アリギバのその後は不明である。
イェスン・テムルの死後おこったこれら一連のハーン位争いは、トク・テムルの立てた元号をとって「天暦の内乱」と呼ばれる。幼帝アリギバの没落によっても天暦の内乱は終結を迎えたわけではなく、トク・テムルとその兄コシラの間で帝位を巡る対立が続く。
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