アラヴィー朝
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アラヴィー朝またはアリー朝(ペルシア語:سلسله علویان طبرستان )は、864年から928年にかけて、イラン北部のカスピ海南岸地域、タバーリスタン・ギーラーン・ダイラムなどに勢力を張った王朝。シーア派の一派ザイド派を奉じ、別名ザイド朝と呼ばれる。
この王朝の王家はハサン・イブン・アリーの子孫であるとされており、カスピ海南岸にイスラーム政権を樹立した。928年にサーマーン朝に敗北し、アラヴィー朝は滅亡した。滅亡後、将兵の一部はサーマーン朝に使えた。ズィアールの息子マールダヴィジもサーマーン朝に使えた将軍の一人で、後にズィヤール朝を打ち立てた。ブーイェの息子であるイマド・アル・ダウラ、ハサンそしてアフマドもサーマーン朝に仕え、後にブーイェ朝(ブワイフ朝)を樹立する。
アラヴィー朝のアミール [編集]
- ハサン・イブン=ザイド(864年 - 883年)
- ムハンマド・イブン=ザイド(883年 - 900年)
- サーマーン朝のタバーリスタン攻略により、ギランに亡命(900年 - 913年)
- ハサン・イブン・アリー(913年 - 916年)
反サーマーン朝と親サーマーン朝派の対立 [編集]
- 反サーマーン朝派
- ハサン・イブン=カシム(916年 - 928年)
- 親サーマーン朝派
- アフマド・イブン=ハサン(916年 - 923年)
- ジャファル・イブン=ハサン(916年 - 924年)
- ムハンマド・イブン=アフマド(924年 - 927年)
- ハサン・イブン=アフマド(927年)