アマラとカマラ
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アマラ(Amala,? - 1921年9月21日)とカマラ(Kamala,? - 1929年11月14日)は、1920年にインドのミドナプール付近で狼とともに暮らしているのを発見された二人の少女。孤児院を運営するキリスト教伝道師ジョセフ・シング牧師によって保護・養育された。シングは幼少時に親に捨てられた少女たちが狼に育てられたものと発表し、文明から切り離されて育てられた人間(野生児)の事例として有名な逸話となったが、その真実性については議論がある(#真実性の節を参照)。「実の親にある程度まで育てられた自閉症児が捨てられたのではないか」との説もある[1]。
日本においては、1955年に翻訳出版された『狼にそだてられた子』(アーノルド・ゲゼル著、生月雅子訳 新教育協会)によってこの逸話が紹介されて知られるようになり、教育や児童心理学の分野で度々参考にされている[2]。
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[編集] 記録
シング牧師の日記に、2人を救出してから養育し、死をみとるまでの記録が23枚の写真とともに詳細に残されている[3]。それには次のように記録されている[4]。
シング牧師は伝道旅行の途中に、ミドナプールとモーバニの境にあるゴダムリ村で、牛小屋に泊めてもらった。そのとき現地のチュナレムという男に、近くのジャングルに恐ろしい化け物がいるから追い払って欲しいと依頼される。依頼を引き受けて調査に向かい、1920年10月17日にシロアリ塚で狼と暮らしている2人の少女を発見、保護した。牧師は2人を連れて10月28日にゴダムリ村を去り、11月4日にミドナプールにある自分の孤児院に到着、以後はそこで保護した。
発見当時の年齢は不明だが、シング牧師は年少の子が約1歳6ヶ月、年長の子が8歳と推定している。11月24日、年長の子を「カマラ」、年少の子を「アマラ」と名づける。カマラは「桃色のはす」、アマラは「明るい黄色の花」という意味である[5]。
アマラとカマラはともに狼のような振る舞いを示した。ひざや腰の関節はかたく、立ち上がったり歩いたりすることはできず、四つ足で移動した。食事は生肉と牛乳を好み、食べるときは手を使わず地面に置かれた皿に顔を近づけてなめるようにして口に入れた(画像を参照)。 聴覚・嗅覚は鋭く、70m離れたところで捨てられた鳥の内臓を察知し、その方向に四つ足で走っていった。目は暗闇でぎらぎらと光り、暗くても目が利くが、そのかわり日中は物がよく見えていないようだった。また、暑さや寒さにもほとんど反応しなかった。真夜中に遠吠えのような声をたてる以外は音声を発しなかった。シング牧師は、彼女らを人間社会に融和させようと試みた。シング牧師の夫人はマッサージ師であり、からし油を使って2人の硬くなった関節などをマッサージしてあげた。また、アマラはのどが渇いているときには「ブーブー」というような声を出すようになった。
1921年9月に入り、2人は病気が重くなり、数日間は昏睡状態となった。医者に診てもらい、9月12日には寄生虫を除去。15cm前後の虫がアマラの体から18匹、カマラの体から116匹排出された。カマラは病気を乗り切ったが、アマラは9月21日に腎臓炎で死去した。
アマラの死を理解するとカマラは両目から涙を流し、アマラの亡骸のもとを離れようとしなかった。アマラが死去した9月21日から9月27日まではひとりでずっと部屋の隅でうずくまっていた。10月になってもカマラは意気消沈したままで、白痴のようになってしまった。その後、シング夫人がつきっきりで世話とマッサージをし、11月の半ばを過ぎるとカマラは以前の元気を取り戻した。
その後、カマラは直立二足歩行のための訓練を受けはじめる。1923年6月10日に初めて2本足で立つことに成功し、少しずつではあるが言葉をしゃべるようになった。1926年までに30ほどの単語を覚え、1927年に入ると短い簡単な文を口にすることができた。
1928年頃からカマラの体調は悪くなり、1929年9月26日に発病。町中の医師の努力も空しく、11月14日の朝4時頃、尿毒症によって死亡した。
[編集] 真実性
出版されたシング牧師の日記には、ミドナプールの地方判事E・ウェイトによる宣誓供述書、さらにH-パケナム・ウォルシュ主教による、日記の内容が真実であることを保証すると述べた「まえがき」が付されている[6]。また、ロバート・ジングは主教のまえがきがあることや野生児の写真が残されていること、そしてフランシス・マックスフィールド教授やキングスレー・デービス教授など複数の学者からお墨付きをもらっていることなどを挙げ、シング牧師の日記が信頼できるものだとしている[7]。しかし、この事例の真実性に疑問を投げかける向きもある。
社会学者のウィリアム・F・オグバーンは、文化人類学者のニルマール・K・ボースとともに1951年から1952年にかけてこの逸話の真実性についての現地調査を行い、1959年に論文として発表した[8]。それによると、アマラとカマラがシング牧師の孤児院にいたことと、カマラが言葉を話せないような異常な子供であったことは裏づけがとれた。しかし、次のような疑問点を指摘している。
- シング牧師の親族(息子・娘)を除くと、カマラを実際に見たことがあると証言する人のうち、四つんばいで移動したり生肉を食べたところを目撃した人はひとりも確認されなかった。なお、シング牧師夫妻は調査を行った時点ですでに死亡しており、アマラとカマラを保護した際に牧師と同行していたとされる人物たちについても死亡または行方不明となっていた。アマラの性格については信頼性のある証言は全く得られなかった。
- シング牧師の日記では、「牧師自身がシロアリ塚から2人を救出した」と記されているが、救出したとされる日から約1年後の地方紙(「ミドナポール・ヒアタイシ」1921年10月24日付)には、「サンタル族によって救出され、のちにシング牧師に引き渡された」と記述されており矛盾している。また、牧師のもとにアマラとカマラが連れてこられたのを目撃したとの陳述もあった。
- シング牧師の日記によると救出場所の最寄の村の名前はゴダムリ(Godamuri)とされているが、地図・税金や人口調査の記録、粘り強い実地調査などによってもついにその村を発見できなかった。
また、梁井貴史も、以下のような疑問点から、この2人が狼によって育てられたとすることに否定的な見解を示している[9]。
- 授乳の問題。狼の母親は積極的に乳を与えず、人間の乳児も乳首を口元に持って行かないと乳を吸わないため、授乳が成立しない。また、人間と狼では母乳の成分が違いすぎるため人間には消化できない。
- 移動の問題。狼の群れは餌を求めて広範囲を移動するが、その速度は時速50kmに達し、人間の短距離走者でさえ時速35kmほどであることを考慮すると幼児が移動に耐えられるとは考えにくい。
- 暗闇で目が光る、犬歯が異常に発達しているなどの、生物学的にあり得ない記述が多々ある。
1975年、イギリスのC・マクリーンは、ゲゼル児童発達研究所の屋根裏で発見したロバート・ジングの残した多数の文書を元に、現地調査を行った。その結果、次のことがわかった[10]。ただし、このことによっても、アマラとカマラが狼に育てられたことが証明されたわけではない。
- オグバーンの調査の結果とは異なり、アマラとカマラが狼のように振舞っているのを見たという証言が得られ、シング牧師に敵意を持っていると思われる人であっても、アマラとカマラの逸話に真実性を疑っているわけではなかった。
- 問題のゴダムリ村は発見された。その村の名前はゴラバンダと変わっていた。村人たちから、チュナレム(シング牧師に化け物退治を依頼した人物)が、数年前までその村にいたことの証言が得られた。さらに、近くのデンガナリア村に住むラサ・マランディという老人は、16歳だった当時にシング牧師とともにアマラとカマラの保護に参加したと話した。
- オグバーンの論文で指摘された地方紙「ミドナポール・ヒアタイシ」のほかにも、「ステーツマン」誌やシング牧師が福音伝道協会に宛てた書簡、そしてシングのかつての教師であるブラウン神父の書簡といったものに「アマラとカマラはサンタル族によって保護され、その後シング牧師に引き渡された」と記されており、いずれもシング牧師の日記と矛盾していることがわかった。なぜこのような食い違いがあるのかについて、C・マクリーンは詳細は不明としながらも、シング牧師が2人の救出時に狩猟者の役割をしたことを伝道協会に知られたくなかった可能性や、野生児見たさに孤児院に殺到する見物人に辟易として矛盾を含んだ話をするようになってしまったという可能性を示している。
また、鈴木光太郎は証拠とされる写真について、別々の日に撮影されたはずの写真にもかかわらず背景が酷似しているなどの点からなんらかの作為が感じられると指摘している[11]。
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- J・A・L・シング著、中野善達・清水知子訳 『狼に育てられた子―カマラとアマラの養育日記』 福村出版、1978年、ISBN 978-4571215018。
- 鈴木光太郎『オオカミ少女はいなかった 心理学の神話をめぐる冒険』新曜社、2008年10月、ISBN 478851124X
- ブルーノ・ベッテルハイム他著、中野善達編訳 『野生児と自閉症児―狼っ子たちを追って』 福村出版、1978年、ISBN 978-4571215063。
- C・マクリーン著、中野善達訳編 『ウルフ・チャイルド―カマラとアマラの物語』 福村出版、1984年、ISBN 978-4571210044。
[編集] 脚注
- ^ 『野生児と自閉症児―狼っ子たちを追って』の27-62頁に掲載されているベッテルハイムの「野生児と自閉症児」を参照。
ただし自閉症の成因についてベッテルハイムが述べた見解は現在の学説と異なる。また、ベッテルハイム自身への評価にも注意。 - ^ 『狼に育てられた子―カマラとアマラの養育日記』194-195頁の訳者あとがき、『ウルフ・チャイルド―カマラとアマラの物語』298頁の訳者あとがきより。
- ^ ただし、23枚の写真のうち1枚はアマラとカマラを診察した医師の写真のため、野生児を写したものは実質22枚である。
- ^ 以下、特に脚注を付していない部分は『狼に育てられた子―カマラとアマラの養育日記』に掲載されているシング牧師の日記を参照。
- ^ 『野生児と自閉症児―狼っ子たちを追って』3頁の訳者まえがきより。
- ^ これらは『狼に育てられた子―カマラとアマラの養育日記』の1-5頁に掲載されている。
- ^ 『狼に育てられた子―カマラとアマラの養育日記』19-29頁の「はじめに(続)」を参照。
- ^ 『野生児と自閉症児―狼っ子たちを追って』の107-244頁に日本語訳が収録されている。
- ^ 外部リンクの節で示した「“オオカミに育てられた少女”は実在したか」を参照。
- ^ 以下、『ウルフ・チャイルド―カマラとアマラの物語』、特に278-288頁のエピローグを参照。
- ^ 『オオカミ少女はいなかった 心理学の神話をめぐる冒険』、11-15頁。

