アマドゥ・マハタール・ムボウ

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アマドゥ・マハタール・ムボウ

アマドゥ・マハタール・ムボウ(Amadou-Mahtar M'Bow、1921年 - )は、セネガルダカール出身の教育者。1974年から1987年にかけて、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)の第6代事務局長を務めた。

人物[編集]

第二次世界大戦では自由フランス軍に所属して北アフリカ戦線で従軍した。1947年にパリのソルボンヌ大学に入学、1951年に卒業し地理学の学士を取得した。1953年からユネスコの職員となり、1957年には故郷のセネガルに帰った。1958年から1960年にかけてセネガルの独立に尽力した。1966年からユネスコに復帰、1974年にはアフリカ人として初めてユネスコの事務局長となり、2期13年間務めた。

新世界情報秩序[編集]

事務局長としては、「新世界情報秩序」を標榜し、欧米文化の情報帝国主義を打破しようと行動した。その姿勢は当時のソ連などの東側諸国および第三世界非同盟諸国の支持を得たが、それが結果的にはジャーナリストに認可制を導入し報道の自由を制限するものだという西側先進国との政治対立を招いてしまい、結果としてアメリカイギリスシンガポールがユネスコを脱退するという結末を招いてしまった。また、ムボウはユネスコの人事に縁故を持ち込んでしまったり、予算の肥大化による放漫財政を放置するなどしたために、最終的にはユネスコ存続の危機を招いた形で辞任に追い込まれることになってしまった。 なお、ムボウが目指した「新世界情報秩序」は本来、欧米の大手通信社に世界の報道がほぼ寡占されている現状を打破するためのものであったが、それは現在においてもほぼそのままの状況であるといえる。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]


公職
先代:
ルネ・マウ
Flag of UNESCO.svg ユネスコ事務局長
第6代:1974 - 1987
次代:
フェデリコ・マヨール