アプラ・エデル

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アプラ・エデル
名前
本名 アプラ・エディマ・エデル・ベテ
Apoula Edima Edel Bete
ラテン文字 Apoula Edel
基本情報
国籍 アルメニアの旗 アルメニア
カメルーンの旗 カメルーン
生年月日 (1986-06-17) 1986年6月17日(37歳)
出身地 カメルーンの旗 カメルーン 中央州ヤウンデ
身長 184cm
体重 80kg
選手情報
ポジション GK
利き足 右足
ユース
1998-2001 カメルーンの旗 ピュイサンス・アベニール
2001-2002 カメルーンの旗 FC PWDクンバ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2002-2005 アルメニアの旗 ピュニク・エレバン 58 (1)
2006-2007 ルーマニアの旗 ラピド・ブカレスト 9 (0)
2006 ベルギーの旗 KAAヘント (loan) 0 (0)
2007 フランスの旗 パリ・サンジェルマンB 29 (0[1])
2007-2011 フランスの旗 パリ・サンジェルマン 47 (0)
2011-2013 イスラエルの旗 ハポエル・テルアビブ 64 (1)
2014 インドの旗 アトレティコ・コルカタ 9 (0)
2015 イスラエルの旗 ハポエル・テルアビブ 8 (0)
2015 インドの旗 チェンナイイン 13 (0)
2016 インドの旗 FCプネー・シティ 13 (0)
通算 222 (2)
代表歴
アルメニアの旗 アルメニア U-17 3 (0[2])
アルメニアの旗 アルメニア U-19 15 (0[2])
アルメニアの旗 アルメニア U-21 12 (0[2])
2004-2005 アルメニアの旗 アルメニア 6 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

アプラ・エディマ・エデル・ベテラテン語: Apoula Edima Edel Bete, アルメニア語: Ապոուլա Էդիմա Էդել Բետե, 1986年6月17日- )は、カメルーンヤウンデ出身の元サッカー選手、元アルメニア代表。現役時代のポジションはゴールキーパー

経歴[編集]

クラブ[編集]

カメルーンヤウンデに生まれたエデルは、ピュイサンス・アベニール (Puissance Avenir)とFC PWDクンバ (FC PWD Kumba)でプレーした後、2002年にアルメリアへと渡り、FCピュニク・エレバンと契約し、7月24日にUEFAチャンピオンズリーグ 2002-03予選1回戦タンペレ・ユナイテッド戦で欧州カップ戦初出場を飾る[2]。2005年のシーズン中において、契約満了前にもかかわらず正当な理由なく一方的に去ると、パリ・サンジェルマンFCオリンピック・マルセイユFCイストルFCジロンダン・ボルドーといったフランスの数多くのクラブの入団テストでの失敗[3] を経て、同僚のカール・ロンベと共にFCラピド・ブカレストと契約したことで、ピュニク側から違反による賠償金をFIFAの紛争解決商工会議所である通称DRCを通じて訴えられた[4]。審理中にクラブを去った理由の1つに自身の帰化が余儀なくされたものだったことを訴えるも、1万5000USドルの支払いを命じられ、更にスポーツ仲裁裁判所への上訴によって6万USドルに支払いが増加した[4]

パリ・サンジェルマン[編集]

ラピド・ブカレスト、KAAヘントでプレーし、放出された後、2007年8月16日に自由移籍でリーグ・アン (フランス1部)のパリ・サンジェルマンFC (PSG)と契約をする[5]。PSGでは、ミカエル・ランドロージェローム・アロンソ英語版グレゴリー・クーペの存在から主に控えであり、2007年11月16日のギニアとの親善試合がトップチームでの最初の試合となっているが、負傷したロリス・アルノー英語版の代役として急遽フォワードを務めていた。翌2008-09シーズンクープ・ドゥ・フランスでのASナンシー戦 (2-1)で公式初出場を飾り[6]、以来、4試合に出場。ポール・ル・グエン監督体制下では出場機会に恵まれなかったが、後任のアントワーヌ・コンブアレ監督から信頼を置かれたことで、2009年11月28日にクーペ骨折した際に補強を思い留まらせ[7]、12月16日にRCランスでリーグ戦初出場を飾って以来、正ゴールキーパーを務めた。2010年1月21日のASモナコ戦において、相手のヴァンサン・ミュラトリのグラウンダーのクロスを掴み損ねたことに加え、ボールを自身の足に当てオウンゴールとなった[8][9]

クーペの復帰後は再び2番手として過ごす中、クーペのパフォーマンス低下によって序盤戦早々に取って代わったが、2010年11月29日のオリンピック・リヨン戦において、パントキックの蹴りそこないで相手のバフェティンビ・ゴミスへボールが渡り、それを決められるミスを犯す[10][11] 等、自身も不安定さを見せており、その後は、エデル、クーペ共に地位を確立するまでに至らず、交代交代だった。

PSG退団後[編集]

2010-11シーズン終了後、契約満了に伴い退団することが予想されていたが、ロビン・レプルー会長の評価は高く、契約更新の会談が設けられることになった[12]。しかし、PSGへの残留を拒否し、ヴィンセント・エニェアマの後釜として、自由契約でイスラエル・プレミアリーグ (イスラエル1部)のハポエル・テルアビブFCへ移籍した[13]

2014年8月にインディアン・スーパーリーグアトレティコ・デ・コルカタと契約する[14]。正ゴールキーパーを務め、プレーオフ決勝でケーララ・ブラスターズFCを降して初代王者に貢献[15] し、バイチュン・ブティアからパフォーマンスを称賛された[16]

アトレティコ・カルカタでの成功したシーズンを過ごした後、自由契約選手として、2015年1月16日に古巣のハポエル・テルアビブに復帰した[17]

代表[編集]

カメルーンで生まれ育ったが、16歳の時にアルメニアへと渡り、2002年9月に国籍を取得した[4] ことによって、UEFA U-21欧州選手権2000予選UEFA U-19欧州選手権2005に出場する[18] 等、U-17、U-19、U-21と様々な年代別代表でプレー[2]。A代表では、ベルナール・カゾニ監督の下、2004年2月のカザフスタン戦での初出場以来、6試合プレーし、公式戦には2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選チェコ戦とルーマニア戦に出場した。

その後、アルメニア代表でのプレーを強要されたと告白し、カメルーン代表でのプレーを夢見たエデルは、FIFAに対して代表変更の許可を求めた[19][20] が、試みは失敗し、ポール・ル・グエン監督が発表した2010 FIFAワールドカップへ向けた30名のメンバー候補に名を連ねることはなかった[21]

私生活[編集]

2010年に突如として、本名はアンブロイセ・ベヤマ (Ambroise Beyaména)であり、登録上は1986年生まれの24歳だが実年齢は1981年生まれの29歳であると、身分詐称疑惑が持ち上がる。フランスで法廷に持ち込まれ、元コーチで代理人のニコラ・フィリベール (Nicolas Phillibert)が証人として出廷し、身分詐称を裏付ける証言をしており[22]、有罪の場合には、エデルの所属するパリ・サンジェルマンFCに対して降格や追放の罰則処分の可能性がある[23] 騒動に発展した。最終的にパスポートは本物と証明され無罪となり、逆にフィルベールを訴える構えだったが、裁判に2年間掛かった費用が返済されるまで待つことになっている[24]

個人成績[編集]

クラブでの成績[編集]

出典:[1][25][26]

所属クラブ シーズン リーグ 国内カップ 欧州カップ 合計
所属リーグ 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
ピュニク・エレバン 2002 アルメニア・プレミアリーグ 2 0 0 0 1[a] 0 3 0
2003 21 1 0 0 4[a] 0 25 1
2004 23 0 0 0 4[a] 0 27 0
2005 12 0 0 0 1[a] 0 13 0
合計 58 1 0 0 10 0 68 1
ラピド・ブカレスト 2005-06 ディヴィジアA 0 0 0 0 0 0 0 0
2006-07 リーガ1 9 0 0 0 1[b] 0 10 0
合計 9 0 0 0 1 0 10 0
KAAヘント (loan) 2006-07 ジュピラー・リーグ 0 0 0 0 0 0 0 0
パリ・サンジェルマン 2007-08 リーグ・アン 0 0 0 0 0 0 0 0
2008-09 0 0 1 0 2[b] 0 3 0
2009-10 23 0 6 0 0 0 29 0
2010-11 24 0 2 0 11[b] 0 34 0
合計 47 0 9 0 13 0 69 0
ハポエル・テルアビブ 2011-12 イスラエル・プレミアリーグ 34 0 0 0 10[b] 0 44 0
2012-13 30 1 2 0 8[b] 0 40 1
合計 64 1 2 0 18 0 84 1
アトレティコ・デ・コルカタ 2014 インディアン・スーパーリーグ 9 0 - - 9 0
合計 9 0 - - 9 0
キャリア通算成績 187 2 11 0 42 0 240 2
a. ^ UEFAチャンピオンズリーグ
b. ^ UEFAヨーロッパリーグ

代表での成績[編集]

出典:[27]

アルメニア代表
出場 得点
2004 4 0
2005 2 0
Total 6 0

獲得タイトル[編集]

クラブ

FCピュニク・エレバン

FCラピド・ブカレスト

パリ・サンジェルマンFC

ハポエル・テルアビブFC

アトレティコ・コルカタ

チェンナイイン

  • インディアン・スーパーリーグ : 2015

脚注[編集]

  1. ^ a b APOULA EDIMA BETE EDEL”. lequipe. 2015年4月28日閲覧。
  2. ^ a b c d e "Édel Apoula" uefa.com
  3. ^ "Les grands débuts d'Edel dans les buts"
  4. ^ a b c "CAS 2007/A/1359 FC Pyunik Yerevan v Edel Apoula Edima Bete, AFC Rapid Bucasresti & FIFA"
  5. ^ "OFFICIAL, PSG engage Edel"
  6. ^ "PSG – Edel, une première en toute décontraction"
  7. ^ "元フランス代表守護神、「ストッキングから骨飛び出す」重傷"
  8. ^ "Le PSG en plein cauchemar face à Monaco (0-1)"
  9. ^ "Monaco braque Paris"
  10. ^ "残り3分で首位を逸したパリSG、大失策のGKは「セ・ラ・ヴィ」"
  11. ^ "Edel gets PSG backing"
  12. ^ "PSG plan contract talks"
  13. ^ "Israel terre daccueil dApoula Edel"
  14. ^ "ISL: Atletico de Kolkata confident players would adjust to synthetic turf"
  15. ^ "Kerala Blasters FC 0-1 Atletico de Kolkata: Rafique wins the ISL for Ganguly’s outfit"
  16. ^ "Why Atletico de Kolkata won Indian Super League 2014"
  17. ^ "Edel revient à l'Hapoël Tel-Aviv"
  18. ^ "Pyunik poised for pivotal match"
  19. ^ "Cameroonian Keeper Edel Keeps PSG Clean Sheet Against Braga"
  20. ^ [1]
  21. ^ "Cameroun: Le Guen dévoile une liste de 30 joueurs"
  22. ^ "Ligue 1 - Police meet PSG keeper over identity row"
  23. ^ "Sevilla File Official Complaint To UEFA Amid Forgery Claims Against Paris Saint-Germain Goalkeeper Apoula Edel - Report"
  24. ^ "Paris Saint-Germain Goalkeeper Apoula Edel Ready To Sue Ex-Coach"
  25. ^ Édel Apoula”. footballzz. 2015年4月28日閲覧。
  26. ^ A. EDEL”. soccerway. 2015年4月28日閲覧。
  27. ^ Apoula Edel Bete”. national-football-teams. 2015年4月28日閲覧。

外部リンク[編集]