アブラアム=ルイ・ブレゲ

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アブラアム=ルイ・ブレゲ
アブラアム=ルイ・ブレゲ
生誕 (1747-01-10) 1747年1月10日
スイスの旗 スイス
ヌーシャテル
死没 (1823-09-17) 1823年9月17日(76歳没)
フランスの旗 フランス
パリ
職業 時計職人
活動期間 1762年 - 1823年
代表作 No.160「マリー・アントワネット」
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アブラアム=ルイ・ブレゲ[1]Abraham-Louis Breguet [a.bʁa.am lwi bʁe.ge][2]1747年1月10日 - 1823年9月17日)は、スイスヌーシャテル生まれの時計職人。時計の歴史を200年早めたとも云われる。ブルゲと表記されている場合もある[3]

フランスで時計の開発を行い、永久カレンダー、暗闇でも音で時を知らせるミニッツリピーター、重力の影響によりゼンマイ時計が狂うのを防ぐトゥールビヨン機構など、様々な革新的技術を生み出した。その他にも、「パラシュート」と呼ばれる耐衝撃装置、ブレゲヒゲと呼ばれる独特のカーブを持ったヒゲゼンマイなどにより時計の信頼性向上を図るなどの地味な発明や、ブレゲ数字(独特のインデックスの書体)、ブレゲ針(穴空き針)、ギョーシェ(文字盤の細やかなピラミッド状の装飾)といった高級時計に現在も用いられる意匠の考案にまで、彼の業績は及んでいる。一点ものではあったが、ブレスレット型の腕時計を制作したことでも知られる[1]

彼の創設した時計メーカー・ブレゲパテック・フィリップヴァシュロン・コンスタンタンオーデマ・ピゲランゲ・アンド・ゾーネとともに世界5大時計と呼ばれることもある。

略歴[編集]

ペール・ラシェーズ墓地にあるブレゲの銅像

マリー・アントワネット[編集]

1783年、ブレゲの顧客の一人であったフランス王妃マリー・アントワネットはブレゲに最高の時計を作るように命じた(一説には、彼女の愛人であったハンス・アクセル・フォン・フェルセンの発注であるとも言われる[4])。フランス革命によってマリー・アントワネットは処刑されたが、その後もこの時計の開発は続けられた。ブレゲの死後も弟子達がその仕事を受け継ぎ、1827年になってようやくこの時計は完成した。

こうして完成したのがブレゲNo.160「マリー・アントワネット」(Marie Antoinette )と呼ばれる金色の懐中時計である。この時計には琺瑯文字盤とクリスタル製の透明な文字盤が交換のために用意されており、透明な場合は内部機構を楽しめるようになっている。その内部機構には依頼当時開発されていなかったトゥールビヨンを除くブレゲの開発した最新技術(自動巻き、永久カレンダー、リピーターなど)が採用されている。1983年イスラエルエルサレムL・A・メイヤー記念イスラム美術館英語版から盗まれ行方不明となっていたが、2007年11月11日に約25年ぶりに発見されて[5]ブレゲ社により本物と確認された。その後所有権をめぐって裁判が行われたが[4]、現在はエルサレムに返還されている[6]

2008年バーゼル・フェアで、ブレゲ本人や美術館が保管していたデッサンと、実際の写真などの技術的な情報を元に作られたレプリカNo.1160が出展され、前年に発見されたNo.160とともに展示された。出展されたレプリカは一点のみで、ブレゲ社からは現在のところ他のレプリカを作る予定も、販売する予定もない旨が発表されている。なおNo.1160の木製化粧箱は小トリアノン宮殿に生えていたマリー・アントワネットお気に入りのオークが使われており、彼女の部屋の床模様を模している。ブレゲ社は木の提供を受けて、小トリアノン宮殿と王妃の農村の修復事業に出資している。

製造した時計[編集]

脚注[編集]

  1. ^ ノート:アブラアム=ルイ・ブレゲ参照。
  2. ^ Mémoires - Abraham Breguet : horloger et physicien français - 2016/01/20 Télé Matin
  3. ^ 『日本大百科全書』懐中時計の項目
  4. ^ a b TBS世界ふしぎ発見!「伝説の時計が語るベルサイユ マリー・アントワネット永遠の愛」2012年3月17日放送
  5. ^ ブレゲ作のマリー・アントワネットの懐中時計、25年ぶりに見つかるAFPBB2007年11月13日
  6. ^ NHK総合発掘!お宝ガレリア「マリーアントワネット グレースケリー 迎賓館 世界の王室展」、2017年8月17日放送

参考文献[編集]

  • 別冊家庭画報『世界の特選品 時計大図鑑』世界文化社

関連項目[編集]

外部リンク[編集]